あとがき

 

 

冷凍庫の一番下に入ってたTwitterはてなを発掘したので、解凍して食す。

 

http://panyayaaaaan.hatenablog.com/entry/2017/07/15/134533

 

久しぶりにみた自分のブログはほぼ痛々しくて、でもリンクのブログとか、あと何個かはまあまあいいこと言ってた。というかこの時期の四六時中、文字通り死ぬほど悩んでた経験がすべて、腐葉土的に今の俺の哲学の土台になってるなと感じる。

 

今俺は普通にサラリーマンしてて、26歳になってしまって、まだ結婚はしてなくて、オタクやめてもいろんな女の子と楽しくわちゃわちゃするのは相変わらず大好きで、ただまあ可愛い彼女もいて、やっぱ社会人は予想通りめんどくせえことてんこ盛りで全員ぶっ殺したくなるときもあるけど、予想以上にうまいこと生きられてて、生かされてて、なんだかんだ最高に平和な毎日を過ごしている。

 

リンク先のブログみたいに、やりたいことをやりたいようにってのができてるかどうかはわからないけど、でも日々を悪くないなと思えてる。

もっと良くなりたいなって気持ちも忘れずに持ててるし、それ以上のスピードで環境は変化したり、変に担がれたりもしてるけど、全部ひっくるめて悪くないし、これからも悪くなったり良くなったりを繰り返して少しずつ良くなっていけばいいなと思ってる。その行き先が、やりたいことをやりたいように、に今後も繋がっていくといいし、そうなるように楽しんでる。

 

ただやっぱり俺は社会不適合者で、それは組織に属してより実感するもので、まるで白の中に黒が一滴あるような感じ。そこまで明確に違えば吹っ切れるし割り切れるから、おかげで関係各所への忖度もなく好きなように振る舞ってるし、そうやって周りへの甘えで生かされてる。

 

まあ結論、俺は何も変わってない。

 

 

俺のオタク人生は大成功であった。

 

さんみゅ〜にしろハコムスにしろ、そのどちらもゲームクリアは成ったし、それだけで十分なのに、作文技術ももちろん、何より思考をこねこねする壮大な4年間は大きな貯金になっていて、今なおその恩恵にあやかっている。

 

もちろん負の面もあって、偏屈になったり、批評的なモノの見方が癖ついたりした。自分で気付いてる分、思い出したかのように都度直すよう努力すれば大きな問題にはならないので構わないけど。

 

あとがきと言っても何が書きたいわけでもなくて、もはや化石化したブログを化石化したTwitter垢で世に放つのだから、まさにしこしこブログたるわけだが、誰にともなく、ひとりごと的に文にしたかったのです。

 

みんなが今何してるかも俺は知らないし、何も変わってないかもしれないけど、めちゃくちゃ変わってるかもしれないわけで、例えばさんみゅ〜は解散しちゃうらしいし、ハコムスはもう俺の知ってるメンバーは誰もいないらしい。

 

切なさみたいなのもあるんだけど、世の常は諸行無常であって、でも少し浸れてしまうくらいには思い出というか、もっと強く言えば想いの残滓みたいなのがあるんだと思う。

 

なぜなら、ただのオタクとアイドルというより、人と人という関係性があったからだろうし、それはただ昔の友人や恋人を偲ぶことと近いように思う。

 

よく覚えてるのは野田真実、内山珠希、鉄戸美桜のお三方。なんだかんだあったけど、この3人は俺のオタク人生を非常に楽しいものにしてくれた。感謝しかない。

 

それぞれへの思い出をつらつら語るほど野暮な人間ではなくなったが、今この3人がなにをしているのか、野田真実さんはまあなんとなくは知っているけど、残りの2人はまじでわからん。誰か知ってませんか。と言っても誰も見ない環境に投稿するので虚しい。物好きな方がいらっしゃいましたらLINEかなんかで教えてください。Twitterは滅多に開きませんので。

 

ただみんながなんとなしに幸せならそれでいいなと思うし、その幸せが今まであなたの歩いてきた道程とは全く違った、一見なんの脈絡もない場所に位置するように思えたとしても、それでいいんじゃねえかなと思う。

人間、そんななんでもかんでも過去を糧にできないし、ましてや順路通りなんて進めないもん。

 

今のあなたが、テキトーにフラフラしながらも、なんとなしの幸せを享受できるような、言い換えるなら、そこらじゅうにあるであろう幸せを"感受"できる余裕を持てるくらいに生活が安定しているなら、それで私は十分なわけです。

 

社会人になって、ある程度立場もできてきて思ったけど、やんないといけないことなんてなんもないよ。俺は俺で、嫌なことを我慢することも含めて好き勝手やってる。やりたいことをやりたいように、は、やりたいこと"だけ"をやりたいように、ではないってことだなと思う。

 

なんだか難しいけど、幸せって決して淡白な味わいではなくて、楽しいも嬉しいも腹立たしいも悲しいも悔しいももどかしいも苦々しいも妬ましいも全部混ざり合って初めて、複雑で数奇で、単なるfunnyじゃない、ある時は満たされるような、またある時は掻き立てられるような、satisfactoryだったりinterestingなものになるんじゃねえかな。わからんけど。

 

最後に俺の座右の銘をば。

一つは、"因数分解"。

この思考で大抵のことは理解、解決できる気がする。たぶん。

一つは、"泰然自若"。

俺は俺だし、いちいち周りに反応せず悠然と構えとけばなんとかなる。はず。

一つは、"因果応報"。

まじこれ。全部これ。ただ自業自得的に考えると苦しくなるから、"しゃーなし"の根性ありき。

一つは、"おもしろきこともなき世をおもしろく"

自分次第よね。月並みだけど。

 

とにかく、あなたがたが、特に上記お三方が、色んな思いを抱えながらも、それでもそれなりに朗らかであるといいなと願っております。

 

では、また会える日まで。

 

 

 

鉄戸美桜さんが卒業したと聞いて

 

お疲れ様でございました。

 

最後までやりきった、ということはとても意味のあることだと思います。色々あったでしょう。辞めたい時もあったはずです。他にもっとやりたいことがあったかもしれません。でも、やりきったわけで、それは財産です。

 

そう長い期間現場に通ってたわけではないので、僕の記憶の中の鉄戸さんと現在の鉄戸さんとでは大きな乖離があるんでしょうが、まあんなことはどーでもよくて、よかったな、と思うわけです。

 

たまーについったーを開けば僕のフォローにはオタクしかいなく、名前も知らないアイドルの名前が多く飛び交う中、懐かしい名前もちらほら見受けられ、その一つに卒業の情報があったのです。

 

こないだ友人に連れられ名前も知らないわけもわからんアイドルの現場に行きましたが、滾ってるオタクがひたすら怖く、異様な空気に居心地の悪さを覚えましたが、これはオタクをやめて慣れがなくなったからももちろん、しかし元からそーいう空気感苦手だったかもと思った次第で、なぜならまったりした現場ばっか行ってた自分の過去の行動が示しているわけです。その最たるがハコムス現場だったんだろうなと思うのです。

 

なんかゆるく歌って踊ってる子たちが、不安も不満も楽しさも辛さも混ぜこぜで、初々しく、クサくない身内感といいますか、許される空間だったと記憶してます。身内感が強くなり過ぎればクサく、輪に入りたくない思いが強くなってしまいますが、僕のような人も寛容されるあの空気感が好きで、だからこそ内山珠希さんの卒業は悲しかった。ハコから飛び出してるとかクソみたいなジジイ共、童貞共の戯言で彼女が1ミリでも悩んでいたら寂しいなと、ハコムスの許される空気感は終わったのかなと感じたのです。一つ思い出すと数珠繋ぎですね。

 

といっても、僕が許されなくなったのはもう少し前で、2ちゃんがお祭りで、人の嫉妬がとても心地よかったあの頃も楽しかったんですがね。オタクの欲が肥大しすぎると空気が狂うわけで、自意識過剰にも一抹の責任を感じたりしました。

 

唯一はっきりと楽しさを覚えているライブがありまして、カルチャーズの平日隔週定期公演だったのですが、客入りが悪く、後方の席がガラガラに空いていたのでゆったりと背もたれながらニコニコと眺めていただけなんですがね。当時まだ僕も絶賛大学生でしたんで、講義終わりかなんかに向かって、その時着ていた服まで覚えてます。もちろん僕の、です。ライブの内容なんてこれっぽっちも覚えちゃいませんが、一人で観ていたのにあんなに楽しかったなんて、さんみゅ〜はオタクとの繋がりで主に楽しかったですが、ハコムスはワイワイもせずただ楽しんでましたんで、そういう意味でも現場の空気そのものが僕に合ってたんだろうなと思うのです。

 

自意識過剰続きですが、自分の好きなもんは自分の好きなようにしたいのが人間のサガでして、僕の発言がより影響力を持つようついったーをぽちぽちしたりしたものです。結果いい方向に導けていたのか、そもそも1ミリでも影響を及ぼすことができていたのかは知り得ませんが、自己満足はできてたんで、僕的には成功なんです。

 

最後にオタクしたのがハコムスなんで、んでその時の推しが鉄戸なんで、僕のハコムスはこれにて終焉なのです。ハコムスは小学生ワラワラでまだまだ続くよ!と言われても、例えまだ僕がハコムスのオタクだったとしても頷くわけにいかず、それが矜恃というか節操というか、まあちゃんとオタクだったということです。惰性など不必要な世界ですから。メンバーみんな好きだけどこいつ居なくなったらあんま行く意味ねえなって思う奴が大抵いるもんで、鉄戸が多くの人からそう思われていたならそれはいいことです。ハコムスの今後も、鉄戸の今後も知ったこっちゃなく、ただハコムスの鉄戸、もしくは鉄戸ありきのハコムスが終わったという認識がオタクとしてもっともオタクらしく、その認識を確認した時点でもうオタクではなくなってるんでしょう。そして、そうやって鉄戸もアイドルではなくなっていくのです。小学生だらけのハコムスに奮って通うこともなく、鉄戸が新たなスタートを切るように、また別の人生をおっかなびっくり歩くわけです。おかえり現実。

 

是非ともこれからという先にわくわくしてほしく、これから出会ういいことも嫌なことも最高だぜと言える気概を持っていただきたい。自分自身が変わらず最高なら、身の回りに起こる全ては良しも悪しも最高なんです。うはーまじやべえって笑いながら言える人間になってくれたらなと思います。積極的、消極的に差があろうとも、人に選ばされた道なんてこの世に、誰の中にもありませんので、自分の選んだ道は常に最高だと信じて、僕の大好きだった鉄戸の素敵な笑顔を忘れずに楽しく頑張ってください。

 

大変ご苦労様でございました。

 

 

菅沼もにかさんにみるアイドルの幸せ

 

リツイートでたまーーーに流れてくる菅沼さんのツイートを拝見して、なにがなんやらわからんくなります。

 

結果クビになったのかなんなのか知りませんし知り得ませんが、仕事依頼先を個人のGmailに設定しているあたり、察するところではあります。一年間は新たな事務所への所属を控えるべきみたいな風習があると聞いたことがありますので、あと半年後にどっかの事務所に所属することになるのでしょうか。ただ、菅沼ビジョンにさほど興味はなく、今が幸せなら、その先もきっと幸せなんだろうなと思うわけです。

 

結婚するアイドルの須藤さんだってきっと幸せで、それはしかし、本人が外野からの干渉をどれほど受けているかに左右されます。盲目であるなら、もしくは外野の意見を賢く取捨選択してヘイトを無視できているなら、幸せです。しかし、自分にとって必要でない意見まで真摯に受け止めてしまっていては幸せなどありません。世間からのヘイトに押しつぶされて、ビクビクしながら生活してるでしょうし、交際だってすぐに破綻してしまうでしょう。外野からの影響で幸せになる人は、外野からの影響で不幸せになる人です。自分で幸せ、不幸せを決めることができる人は、自分で勝手に幸せになり、自分で勝手に不幸せになります。幸せの基準を外に置くのか、内に置くのか、決めるのは俺ら次第だそうです。

 

運営がうるさくて、オタクがうるさくて、メンバーがめんどくて、世間の目がだるくて、それらを意識するから自縄自縛になって、苦しいんですかね。慣れりゃ諦められるんです、何事も。こんなもんだって受け容れてしまえば、特段キツくなんてありません。日常で当たり前になります。しかし、ずっとつきまとっているのが、失うことへの恐怖です。

 

この場が、この位置が、今の自分にとって最良だと疑わず、夢への最短ルートだと、事務所に所属し、運営に従い、ある種しがみついているかのような様ではありますが、安心を求めるのは誰しもそうです。根拠が欲しいんでしょうか。夢へ近づいているという。今夢を追えているという。夢への道程に、確実に立っているんだという。その為、そこにいるんでしょうか。

 

一転、その価値観で考えるなら、全てを失ったと言ってもいい菅沼さんですが、その悲壮感もなく、絶望感もなくツイッターやってます。なんだかスッキリしてるようにも見えて、本当のところなんて知りませんが、他人事ながらこれで良かったような気すらします。あのままハコムス復帰なんてなってたら、痛々しさを引きずっていたでしょうね。メンバーとも、オタクとも変な距離感があって、一見そんな溝は埋まってるように思えても、前と同じ、なんてことはあり得ないわけですから。どこかが違って見えて、それはきっと良くない方向だったでしょう。だってキッカケが良くない出来事でしたから。

 

しかし、今の菅沼さんは何にも囚われることなく、活動できている気がします。最近の動向なんて知らないんで間違ってたら申し訳ないんですが、きっと仕事なんてほぼほぼしてないでしょう。舞台かなんかが決まったみたいのは流れてきたんでみました。もちろんハコムスのときのがたくさん仕事してましたよね。Rの法則にも出たりなんかしちゃって、未来明るい!みたいな感じでしたよね。明らかにハコムスで一番売れそう、てか売れてましたし。最初から周りとはオーラ違いましたしね。

 

で、あのまんまいってたら売れてたんでしょうかね。あれが夢への最短ルートだったんでしょうかね。まあきっと、菅沼さんに限ってはそうだったのかもしれません。あのまんまと、今と、どっちが売れんの早そうかなって、そりゃ前者です。しかし、皆さんご承知の通り、あくまで可能性をより感じるのはどっち?って話で、あのまんまいって売れた保証なんて全くないんです。オタクはバカなんで「あのまんまいってたらなあ」とタラレバで語りがちです。なにを根拠に?と聞いてみたいですね。事務所に所属してたから?運営やらマネージャーやらに推されてたから?地上波に出てたから?アホかと。それらはなんの根拠にもなっちゃいません。そもそも売れる、なんてのは状況証拠的に、環境に根拠を求められるようなもんじゃないんじゃないですかね。運が必要とかそんな当たり前のことをぺらぺらぬかすバカはほっといたとして、これがあったから売れました!ってのは、一見周りの影響が大きいような気がしますが、掘って掘って考えてみたら、大概は本人の中に根拠があったりするもんだと思います。ということは、どこでどう生きるか、みたいな話になるんじゃないでしょうか。

 

つまりは、自分で選択することの幸せ、です。選択できることの幸せ、と言い換えてもいい。

 

ここからは天秤のお話になっちゃうんですが、例えば売れっ子女優になるのが夢だとして、その為に苦渋を舐める幸せがあって、一方、自分で、自分の選択の及ぶ範囲で活動をしながら夢を追いかける幸せがあって、どちらも皮肉抜きに幸せであることは間違いないわけですが、どちらが自分に合っているのか、天秤にかけてみたとき、自ずと答えが出てくるのではないでしょうか。きっとどちらも幸せなんですから、どちらかに執着する必要なんてない気がします。そうやって天秤にかけてみること自体が、自分で選択する幸せであり、その結果はある程度容易に受け入れられるようになるんではないのかな。

 

菅沼さんの場合、願わずそんな状況に陥ったんでしょうが、自分のペースで活動して、プライベートもあり、あんなことあったにも関わらずファンはついてきてくれてて、それを幸せと呼ばずなんと呼ぶのでしょうか。

 

きっと焦燥感とか、後悔とかも少なからずあるんでしょうが、それはまた活動が軌道に乗ったとき活かせばいいわけで、言い方悪いですが、いつまでやるともわからん芸能活動において、今確実に幸せなのと、いつ来るかもずっと来ないかもわからん「いつか」の売れるときのために、と信じてそれなりの苦痛を受け容れているのと、どちらがいいのか僕にはわかりません。ただ、やりたいことがあってやってるんなら、やりたいことをやりたいようにやってる人が一番幸せで、そこに他人の干渉など必要なく、死んでもやめない、諦めないほどの執着と意志がないのなら、今どうなのか、が判断基準になっていいと思うんです。結局、今の立ち位置がなくなったとき、夢を追い続ける自信がないからしがみついてしまう面もあるんでしょう。だから菅沼さんはすごいです。なにも後ろ盾がないであろう現状において、まだ夢を追っている。あの人の強さはそういうところで、それもまた自分で選択する幸せありきなんでしょう。今やりたいことが、あとあとでもできる保証なんてないんです。隣の芝生は青いもんですが、自分の立ち位置に納得できている人が最強なんだと思います。

 

 本人も、運営も、オタクも、家族でさえも、「売れる」という蜃気楼に惑わされ、それ基準で活動を評価し続けることに、極端に狭い視野で自分を納得させ続けることに、どれだけ盲目的になれるのか、その限界の先にはなにが待っているんでしょうか。

 

夢を追いかけるには、今の自分を認めることが大切です。今の自分を否定して、だからこうなりたい!と強く願うカタチの夢は多々見受けられます。それで成功した人もいるのかもしれません。じゃあ、それで成功しなかった残りのほぼ全ての人はどうなるんでしょうか。一生自分を否定し続けるんでしょうね。このままじゃ自分はダメだ!で生きてきて、結局夢は叶わなかった。人生に否定しかありません。そこに幸せはありません。俺はこんな感じでいい感じだなあ、と思うことの大切さ、それを大前提に夢を追いかけないと、うまいこといくもんもうまいこといかないんじゃないでしょうか。

 

今の幸せを噛み締められている人は、将来においても幸せを味わえる人だと思います。逼迫することなく、ゆるやかな心持ちで、自分で選択する幸せを享受したいものです。

 

 

須藤凛々花さんの結婚発表に際して

 

NMB須藤の結婚発表 運営「事実です」…近日中に会見/芸能/デイリースポーツ online

 

別にアイドルが結婚しようが、ああいう場でトチ狂って発表しようが構わないんですが、これはいかがなものかなと。

 

この日に発表することは、須藤自身の意志で、一部の関係者だけが把握していたという。

 

中の人からすりゃ何もかもビジネスなんで、なおさら疑問が残るというか、もしくは理由が明らかすぎるからでしょうか。

 

結局何本位であるかに終始します。ファンの満足度を高めて金稼ぐのかどうなのかって話ですが、ファンの努力がほぼ全てのこの総選挙にて、ファンの努力によって成り立つこの総選挙にて、あえてこの発表をぶつける運営の意図は、総選挙の高い注目度を利用した話題作りが最優先であったというだけのことなんでしょう。

 

さしこはどうせ優勝するし、選抜メンが誰であろうが一般人は気にも留めませんし、話題性持たせるにはちょうど良かったのかもしれません。それはいいんです。結婚はおめでたいですし、それをあえてこの場で発表する根性は頭がオカシイで説明できますし、頭オカシイ人をわざわざ批判する意味のなさは理解してますし、運営が話題作りするのは当たり前です。しかし、どうせこれやるなら、運営は把握してませんでした須藤さん頭おかしいですクビにします、のスタンスでいけば、須藤さん一人が社会的に死ぬだけで済んだのになと思わざるを得ません。

 

ここで運営も承知していたと注釈づけしたところで、須藤さんが社会的に死ぬことを免れるわけじゃないでしょう。今更監督責任を問われるようなしっかりした運営経歴なんて48にはないわけですし、どう考えても知らぬ存ぜぬがベストな気がするんですがね、どうなんでしょう。

 

明言しておきますが、アイドルが彼氏作ろうがセックスしようが結婚しようがなんも悪いことじゃないと思ってます。バレなきゃいいんです、基本的に。しかし、あえてこういう形で自ら死ににいったアホが社会的に殺されることは道理ですから、勝手に死ねばいいんでしょう。そこでなぜ、あえていらぬリスクをとったのか、なぜ運営まで泥を被ったのか、いくつか考えてみました。

 

①形骸化した恋愛禁止路線からの大転換、恋愛推進路線へ

 

→ 人材不足の企業ならまだしも、48に入りたい女の子なんてきっと腐る程いるでしょうから、この路線でのメリットがありません。却下

 

②恋愛推進路線どころか、オタクと繋がり推奨路線

 

→ オタクは金積むし、財力に限らず容姿やら色んなところでオタク同士が競い合う、オタク戦国時代の到来でオタクのスペック水準が上がり、アイドルにとっては握手会の楽しみが増えますが、同時にキモオタガチ恋、厄介ガチ恋の面々も相当なラインナップになるでしょうから、却下

 

③流行りのダイバーシティに沿って、多様化を認めるアイドルグループに

 

→ ファンが頑張り、ファンに感謝するためのイベントで結婚発表するキチガイさんや、仕事をバックレることに生き甲斐を感じるファッキンビッチさんや、丸坊主がキュートだったブスさんなどなど、百鬼夜行的なエンターテイメントを提供するグループになることで、ファンに「こいつらこんなクズなのに幸せそうに笑ってやがる、俺の悩みなんてちっぽけだな」と思わせる全く新しい方法での活力提供が可能です。今までの不祥事が全て、今回の舵切りの布石だったと考えれば納得がいきます。

 

というわけで皆さん、あんなバカでも結婚できるわけですから、多少キモいだけの僕らオタクなんて余裕で結婚できるはずです!勇気をくれてありがとう、須藤さん!

 

それでは、ファンの方々、誠にご苦労様でございました。

 

 

卒論

 

見切り発車ですんで、生暖かい目で見守っていただけたら幸いです。講釈垂れるつもりは毛頭ありませんが、野暮なことをいつも通り、なんの特別感もなくお話しできたらと思います。クソ長いです。

 

 

僕はオタクを存分に楽しんだ自負があります。勉強同様に就労が面倒で仕方がない自業自得系貧乏学生でしたので、もっとお金を稼いでオタクに注ぎ込んでいれば、もしかしたらより満喫できたかもしれません。事情として趣味やらサークルやら飲み会やら旅行やらの優先順位をさほど下げることなくお金をかけてきましたから、結果その選択をしませんでしたが、そのことに対する後悔など微塵もなく、それをなんの強がりもなく言える自分に、それなりに満足したオタクライフを送ってきた余裕を感じ、よって僕の自負の根拠となるわけです。

 

 

 僕がオタクを楽しめた理由の一つに、対人関係に神経を使ったことが挙げられると思います。なんの気兼ねもなく、が一見楽で短絡的には楽しそうに思えるのですが、印象として「たくさんバカなことしたわーたのしかったわー」と受け止められると幾分か齟齬があります。結論、なんの気兼ねもなく、に行き着くんですが、思慮の先の図々しさであり、無配慮ではありません。

 

何度かブログにも書いてる話なんですが、アイドルもオタクも人間です。よってそこにあるのはシンプルにはただの人間関係です。そこにはカネだったり、社会の目だったり、恋慕だったりが絡んでますから、単純な話ではないんですが、基本はアイドルとの関係も日常の延長線上であることに違和感はありません。あえて特別視する必要性を全く感じず、当たり前のように接していれば、当たり前のように楽しいのは自明でして、他人をとやかく言うのもこの期に及んでとは思いますが、何故かできてない方が多かった印象です。そう言った方々は軒並み「険しい」とか「病んだ」とかほざいてるわけです。

 

人間関係の苦しみを否定しません。ただ僕はなんとなく「そんなもんだろう」と幸いにも認識できていました。諦観とも言えるかもしれません。女性に対してもそうですが、人間関係そのものに無駄に幻想を抱いていません。しかし、無駄に絶望もしていません。苦しみと楽しさは必ず同居しますから、その割合は自分の選択や気の持ちよう、また環境によって大きく変化しますが、ある程度はコントロールできるもので、あとはそのバルブに気がつくかどうかなんだと思います。難しいんですけどね。

 

オタク幼稚園児 - bianco's memoryに書いた通り、オタクはカネの傘に庇護されてますから、守られてることと引き換えと言いますか、守られる=踏み込むことに対する制約ですんで、本来アイドルと自分との距離感に納得しやすく、いわば人間関係の公式が出来上がっている状態と言えます。あとは x と y に当該のアイドルと自分を当てはめるだけです。そこを理解せずに相手の敷地に踏み込んで行こうというのならば、当然の如く庇護は解け、雨曝しとなります。自ら傘から出たにも関わらず雨に打たれて文句を言うおバカさんはそれこそ幼稚園で卒業しなければなりません。守られつつ、踏み込んでも行きたいなんてことはワガママもいいところでして、見合わないことをしようとすれば、しっぺ返しを食らうのが世の常です。

 

しかし、僕はこの公式に則った人間関係を健全と思うだけの度量も視野も見解も持ち合わせてなく、当然のようにそこに日常を持ち込んだわけです。だからこそ、あくまで勝手な憶測にしか過ぎませんが、たとえ錯覚であったとしてもアイドルとの距離感をある程度縮めることができたんじゃないかなと思います。

 

先に「なんの気兼ねもなく」に辿り着いたと書きましたが、僕は普段なんの気兼ねもなく付き合える人間としか人間関係を築いていません。それはきっと社会人になれば変わるんでしょうし、相当気を使うような場面が今まで全くなかったとか、そういったものから積極的に逃げてきたとかそういう話ではなく、むしろそう言った場面は人並みに多かったように思うのですが、一時的ではなく普段から接するような人はある程度潜在的に剪定されてしかるべきでしょうし、僕は恵まれているのか結果的にそういった環境に身を置けています。

 

その関係性を保てているということは、当たり前のような思いやりだったりが自然発生的になされているんでしょう。もしくは周りの方々にものすごく気を使わせていて、その方々の優しさで生かされているかです。自分をいい人間だとは微塵も思っていませんので、もしかしたら後者の方が確率が高いかもしれません。まあそれでも現在に至ってこうして関係を続けてくれているということは、なんであれそれなりの理由が僕に対してあるとポジティブに考えて、前者だとして話を進めますが、そういった思いやりのような当然のことを前提に考えた時、例えば友人との関係の中で、露骨に権利だったりを主張し価値観を押し付けることってあまりないように思います。

 

親子間などかなり親密な関係性であれば説教することもあるでしょうが、アイドルとオタクの関係性にそれを見出すのはかなりズレた思考の持ち主だと考えられます。あくまで感想としての「これがこうなったら僕はもっと楽しめるのにな」だとか、ある種独善的な、利己的な思いや考えが、延いては◯◯ちゃんの為に繋がるのかもしれないという期待感を口にするのは大いに構わないと思うのです。しかし、そこに1ミリでも◯◯ちゃんの為!という押し付けがましい、もっと言えば厚かましいほどの熱があったら、それを受け取ったアイドルは「うざってえな」くらいにしか思わないでしょう。友人関係で考えてみれば、それも当然だろうと納得できます。

 

賢い子であれば、その言葉の背景であるオタクの思いを全てシャットアウトし、字面通りに一つの意見として受け止められるでしょうが、そうでないただ真面目な子であれば潰されてしまいます。運営の方針があって、自分が望む方向性があって、オタクの期待する進路があって、もちろんそれぞれあって当然なんですが、ただでさえ運営と自分とオタクの希望にできるだけ添いたいと考えている中で、それぞれのバランスを一生懸命調整している子に対して、オタクの希望を一方的に押し付けて責め立てた日には、どうなるか想像に難くないと思います。

 

ここからアイドルを長く続けるならある程度不真面目で適当な性格の方が向いているんじゃねーかという話に繋がるんですが、論旨がブレるのでシカトします。この話で問題なのは、オタクが何故か正義感を持って価値観を押し付けるという点です。この正義感というのが実に厄介で、正義なんてものは人の数だけあるわけですから、内に秘めといて、自らの行動にのみ発動させとけばいいんです。対外的には自分の倫理感だったりで評価してけばいい話で、正義感というのは倫理感とかとは違って白黒ハッキリさせたがる性格を持っています。黒は糾弾し、皆が白に染まることを望むわけです。言い換えれば、本質的に攻撃的であると言えると思います。しかも頑固になりやすい部分です。そんなもんを振りかざして、お前の為というありがた迷惑極まりない発言を、ましてや好かれようとしている相手にぶつけるなど、人間関係を全うしてるとは言えないでしょう。

 

難しいことはなく、なにも意見を噛み殺せといってるわけじゃないんですから、普段の通り、意見の発し方にせよ恋心の伝え方にせよ当然のように気を使って、気兼ねなく人間関係を楽しめばいいと思います。「気兼ねなく」を無礼講、ルール無用ということだと勘違いしてか、カネの傘に守られて気が大きくなっているのかわかりませんが、日頃の鬱憤を晴らすかのように振る舞う方もいらっしゃいます。他人を見て我が振りを直せるよう、常に冷静でありたいものです。

 

 逆にいい顔しようとする方も結構な数いらっしゃった記憶があるんですが、いい顔されりゃ人間誰だってわかります。アイドルになるような人種はそういったことに特段敏感です。友人関係で友人に対して媚びへつらいますでしょうか。健全な人間関係と申し上げた通り、普通に接することが、相手への気遣いであり、自分の楽しみへのなによりの近道だと思います。

 

それに関連して、こちらが普通に話にいってんのにアイドル的な対応をされると結構ショックを受けた記憶があります。もちろん仕方のないことですし、こんなことにいちいち目くじら立ててたらそれこそキチガイですが、アイドル的対応=拒絶に近いものを僕は感じてましたので、合わないなときっとお互い感じていたんでしょうし、誰とは言いませんがそういったアイドルさんへの苦手意識は拭いきれないものがありました。懐かしいです。

 

 もう一つの対人関係に、オタクとの関係が挙げられます。僕は友達がそう多くない人間です。非常に偉そうでどの立場で言ってんだって話ですが、仲良くさせていただきたいなという方はある程度選んでいます。大概の人はそうだと思います。しかし、できれば仲良い人が多い方がいいと思いますし、友達の多い人を見ると羨ましいなと素直に思います。ただ、僕のキャパシティの問題で、そもそも仲良くできる人数のスロットがそう多くない人間ですから、むやみに仲良くなろうと歩み寄らない、いわば根暗なタイプです。集団行動も得意な方ではありませんし、飲みに行くにせよ3,4人くらいが丁度よくて、知らない人が多くいる飲み会に対してかなり消極的です。一にも二にも「めんどくせえ」の精神でして、できるだけ気を使いたくないわけです。

 

もちろん知らない人との交流は刺激になりますし、人間として成長するにあたって必要不可欠だとは思います。散々偉そうに御託を並べましたが、僕みたいな捻くれたむず痒い青二才、そもそも積極的に交流を持とうとする人自体かなり少数派です。あたかもこちらが選んでいるんだみたいな論調で話しましたが、俯瞰してみてみりゃ僕が選ばれて除け者にされてる要素の方が随分と大きいでしょう。しかし、結果として、そんなに悪い方向に行かなかったかなと思っています。

 

みんなでワイワイ楽しくオタクする楽しさも経験してますし、どちらが良い悪いとかの話ではありません。あくまで僕の体感として、それなりに距離感をとられている、もっと端的にいえば嫌われている方がなにかと動きやすかったように思うのです。というのも、オタク社会は監視社会です。現場によってもちろん違いますが、大概が、特高警察のようなTOと呼ばれるオタク社会において影響力、すなわち権力のある人がいて、愛国心、すなわちアイドルへの忠誠心を当然とする国民のようなオタクたちがいて、それぞれがそれぞれを監視するような社会だと思います。

 

もしそのオタク社会に属して生きていこうとするなら、息苦しくてたまったもんじゃありません。その中に当然のように身を置いている人からすれば、なにが息苦しいのかわけがわからないかもしれませんが、僕は好き勝手やりたかったわけです。先述した通り、その好き勝手がアイドルへの嫌がらせに全く直結しないようなことであっても、監視社会においては出る杭は打つが大前提ですので、同調圧力に屈せざるを得ません。だから僕はそこに所属しませんでしたし、きっと正確には所属させてもらえませんでした。あるいは自意識過剰かもしれませんが、ツイッターでの僕に対する文句や懐かしの2chでの暴行予告やらを鑑みるにそんな的外れでもないんでしょう。それに、こんな僕みたいな人間でも仲の良い方を揶揄するようなことを言うのはある程度は憚れますし、そういった意味でも思ったことを素直に言えるような環境にあって、とても幸運だったなと思うところであります。

 

そんなこんなで気楽に楽しむことができましたし、幸運にもこんな僕と一緒にいてくれる数少ないオタク友達もいてくれましたから、もともと根暗な僕からしてみれば、願ったり叶ったりなわけです。何度も言いますが、良し悪しではありません。僕はこうであった、というだけの話です。しかし、もしオタクとの人間関係で悩まれている方がいらっしゃれば、参考にしていただけましたら幸いです。以上が対人関係に関する楽しさの要因でした。

 

 

オタクを楽しめた理由のもう一つが、言うほどガチ恋じゃなかったことだと思います。というのも、わりと曲だったりステージパフォーマンスだったりを楽しめてたので、ガチ恋的な楽しみに依存せずに済んだのです。何事も盲目的になれば、夢中にはなれますが、その代償も大きくなります。例えばライブが良かったにも関わらず、レスにしろ接触にしろ、アイドルからの対応一つで、丸々クソつまんねえものに感じずに済んでいたわけです。

 

どっちかが楽しけりゃ、まあいっかくらいに受け止められましたし、払ったカネに対する後悔もそんなにしてきませんでした。もちろん金返せやクソが、みたいなイベントもありましたが、世の中うまいことできてんのか僕が恵まれてたのか僕がやたらポジティブだったのかわかりませんが、その数はそう多くありませんでした。この比重がどちらかに偏ってくるとつまんねえと感じたイベントも増えたんでしょうが、丁度50:50くらいに楽しめてました。

 

このパフォーマンスの話を突き詰めていくと、結局はガチ恋にも関連してくるんですが、というのも、どーでも良いやつが頑張って成長していく姿をみたいと思う人間てそう多くないと思うんです。ガチ恋って書き方すると、あたかもアイドルと付き合いたいやつに限定された呼び方みたいに受け取られがちなんですが、もう少し広義的で、アイドルに、又アイドルとの関係に青春をみる人間は全員ガチ恋だと考えています。

 

もっと言えば惹かれていなければ数多くいるアイドルの中から興味をもって選ぶという作業をしないと思いますし、この「惹かれている」というのも淡白で清潔なものではなくて、例えば僕は本田望結ちゃんめちゃめちゃ可愛いと思いますが自ら関わりを持ちたいとはこれっぽっちも思いませんし、家の近所で滑るという情報を得ても死ぬほど暇じゃない限り観に行かないと思います。僕基準で申し訳ないんですが、時間とカネを使って会いにいく、という感覚は少なからず恋、もしくは青春をそこにみていることの証左だと思いますし、きっと否定される方自身もあえて気づきたくない部分で反射的に否定されるのかなと推測します。まあガチ恋って字面が狭義的意味を示唆してるんで表現としてあんま適切ではないのかもしれませんが、響き含め「ガチ恋」って文言がとても好きなのでご容赦ください。

 

オタクはほとんどがガチ恋です。全員が、といってもそんな間違いじゃないと思います。なかには純粋にドラマを楽しむ方もいらっしゃるかもしれませんが、今のところそういった方をお見受けしたことは一度もございません。程度に差があるにせよ皆ガチ恋であるがゆえ、対応とパフォーマンスと、楽しさの比重が存在しているとも言えます。僕の言うガチ恋じゃないなら対応なんてどーでもいい、むしろ接触なんてしないでしょうし、レスなんて概念持ち合わせてないはずです。討論ではありませんので一方的に話を進めてしまって申し訳ないんですが、程度に個人差があるにせよ自分がガチ恋であることを認識し、その比重を見つめてみることで、楽しみ方はもっと上手になるのではないかと思います。

 

ガチ恋といえばパフォーマンス軽視みたいな風潮が蔓延っているように思えた記憶があります。もちろんそういう人もいるしそういう楽しみ方も素晴らしいとは思うんですが、やっぱ好きな子が輝く姿をみるのは楽しいもんです。一番強烈な印象を残しているのは、ハコムスの鉄戸さんの舞台のお仕事を拝観したときでして、一番輝く場を目の当たりにしたときの衝撃と今後の期待感は僕をかなり楽しませてくれました。当時推していた子でしたから、同じく我妻さんの舞台を観た時もすげえなとは思いましたが、それとは違った次元で楽しかったことを今でも覚えています。アイドルで一番輝く子もいれば、バラエティで輝く子もいて、歌で輝く子も、ダンスで輝く子も、演技で輝く子もいるわけです。それぞれの輝く場を目の当たりにできる楽しさを味わえることはきっと幸運なことでしょうから、そういった楽しみを享受できる人間でありたいものです。

 

 

 あと、補足ですが、オタク以外の楽しみもあった方がよりオタクを楽しめるような気がします。オタクだけが俺の楽しみみたいになると、どーしても切迫感だったりにかられて、心の余裕なくオタクすることになりますから、心が満足に楽しむ状態でなくなります。何においても余裕が大事です。僕も右往左往狼狽えながらオタクしてましたけど、目指すはやはり泰然自若とした態度ではないでしょうか。僕の本名の由来でもあるんで、これを人生訓として、社会人を楽しもうと思います。

 

 

まあ卒論くらい文句垂れ流さずに明るい感じでいこうとだらだら書きましたが、くだらないことを真面目に、というオタクそのものと全く同様な記事になったことを皮肉と受け取り、締めとさせていただきます。

 

 

卒論と題しておいて卒業できなかったらもはや笑えもしないんで、3月4日までお百度詣りでもして神頼みしときます。

 

 

ハコムス飯田橋ラムラ

 

この期に及んでごちゃごちゃと論評する気概は持ち合わせていませんので、少々感想をば。

 

なんの巡り合わせかハコムス無銭イベを拝見しました。偶然かどうか察しませんが、今日はズリネタ確保班の方々ばかりがいらしてましたので、そのさらに後方から主に歌声を拝聴させていただきました。

 

だいたい以下のような感じでした。

 

f:id:panyayaaaaan:20170212180715j:image

f:id:panyayaaaaan:20170212180814j:image

f:id:panyayaaaaan:20170212180737p:image

 

きっと各々肚の中では蠢く感情があって、それが現場で人知れず錯綜してるんでしょうが、まあ平和で相も変わらずである、に集約されると思います。僕が新規なら喜んで通いまくってオタクどもに嫌われてしまう未来に飛び込んで行くだろうと想像させるくらいの未開拓感と言いますか、村感でホッとしました。

 

ライブ自体は歌が聞こえてきて、踊りはほぼ見えずでしたのでマトモなことは言えませんが、ふんわりとした感じでした。良し悪しは受け取る側次第でしょう。モチベーションの所在が明らかになることを祈ります。

 

観客の方々に懐かしさを覚える数も随分と減りまして、知らねえヤツばっかじゃねえか状態でしたが、それを新陳代謝というべきか悩ましいところでして、細胞の入替は行われているのにその意味や効果は実感できない、みたいな感じでした。

 

なんだか結局文句言ってるみたいになってますが、そんなことは全然なくて、それがこの現場の良さでもあるでしょうし、休息所としてきっと楽しいんでしょう。しかし、小耳に挟んだ平日定期や対バンでの客入りの寂しさの噂から察するに、ファンの総数は変わらずともオタクの割合は減少傾向にあるんでしょう。僕も缶バッジ2個で500円取れる人生歩みたかったです。100万くらいで運営権売ってくんねえかな。

 

あと握手会の際、手握らないの?ってメンバーから軒並み聞かれたんですが、寒いし小学生の手ニギニギしたくねえし、ハコオタってすげえなって思いました。そもそもそんな手握ってた記憶ないんだけど、オタクはすぐに忘れ去られていくわけです。皆さん月給全部ぶち込んで忘れられないように頑張りましょう。

 

そんなこんなでしたが、俺このグループ好きだったんだなあと、妙に過去に納得した今日でした。現在を素直に見れたことで、思い出との分別がついたと言いますか、かの情景を思い出と理解した僕に後ろ髪はなかった次第です。

 

今日は菅沼もにかさんの姿が見当たらなかったので、次伺う際はもにかちゃんのいる時にしようと思います。ではまた来世で。

 

僕オタク 年貢を納め 年納め

 

年の瀬です。

 

オタクばかりフォローしてるにも関わらずツイッターの機能を駆使してアイドル及びオタク情報が一切入らない状況をつくり結果タイムラインがほとんど動かずツイッターの必要性を疑っている昨今ですが、心は相変わらずオタクでして、おっさんが気持ちだけは若い気分でいるのと同じような感覚をきっと味わっているのだと思います。興味のない情報の羅列や押し付けほどうんざりするものはありませんからね。寂しいものです。

 

さて、なんの情報も入ってこなければ、もちろん話のネタなどなく、ここ最近のビッグニュースといえば僕が馬鹿高いチェスターコートを貧乏学生らしく分割で買ったくらいでして、カシミアだかカシミヤだか知りませんが、果汁にしろなんにしろ100%のすごさを実感している次第です。自慢です。

 

そーいえばそろそろさんみゅー恒例の卒業シーズンでして、かろうじて怜華ちゃんが地元に帰るという話を耳にした記憶があります。怜華ちゃんとはたくさんの思い出がありまして、実に3年と半年ほど前に僕らは運命の出会いをしたわけですが、運命の出会いはその直感だけを残して結局何にも実ることなく静かな終わりがあと数日後にあるのでしょう。「贅沢は毛束の量と見つけたり!」などとハゲ海老蔵も言っていますが、そうすると怜華ちゃんなど贅沢の極みでして、RichExpensiveなオンナは今何を思うのでしょうか。知り合いの怜華狂から聞いた話によると卒業公演は安定のカルチャーズだそうで、密室の人混みが大の苦手プラス毒ガス攻撃で僕のHPはゼロになりかねませんので、家で怜華ちゃんを思ってシコるくらいの想いと愛情に留めておきたいと思います。ご卒業おめでとうございます。誠にご苦労様でございました。

 

こうなると残りは誰だろうとなるわけですが、野田新原木下小林西園ですか。足りなかったらごめんなさい。段々と精鋭化というが正しいか、先細りというが正しいかわかりませんが、シンプルにはなってきているようで、その良し悪しは客入りで見えてくるんでしょうが、んなことよりCDは出さないんでしょうか。ポニキャンクビになったくらいの憶測で僕のさんみゅー歴史は止まってまして、現在の状況なんて知らないんですが、メンバーの残り人数然り、今のさんみゅーの活動内容としては何が残っているのでしょうか。新譜なし冠なし映像なしだと思いつくところでトークショーと地下ライブくらいでして、それはなんだか悲しいのでシンジツの近況をどなたか教えていただけたら幸いです。

 

悲しいといえば、菅沼もにかちゃんはご健在でしょうか。オタクの間でもすでに忘れられたか、名前を呼んではいけないあの人になったか、そのオタクの最近すら知らない僕は知る由もありませんが、サンミュージック所属彼氏との酒乱お泊りセックスで一世を風靡したわりにひっそりと、そしてあっさりとクビ発表で寂しい結末となる気がして、庇護するわけではありませんがやはり謹慎というからには戻らないと格好がつかないというか、事務所の鎮静化政策にしてやられた格好になるのが悔しいというか、まあ野次馬根性なわけですが、もにかちゃんとは仲良しこよしでしたので、生還したのか死んだのか、審判の時がきましたらどなたかご報告いただけましたら幸いです。あとは既定路線通りそろそろ卒業発表するメンバーがいて、平和的世代交代が行われるわけですが、半年ほど前、最後に現場をチラ見したとき拝見した社会主義的な平和が蔓延るあの理想郷は、老人ホーム的な優しさに包まれた空間でしたので、今の立場をいいことに介護士のケツを触るような老害などいないと信じるばかりです。

 

卒業といえばこないだ前田憂佳さん卒業記念オリメン富士急動画をたまたま拝観したんですが、やっぱりスマは最高でして、僕が7年もオタクをやった原因となる福田花音さんもさることながら、やっぱ前田憂佳さんエゲツなく可愛くて、でもやっぱ福田花音さん好き好きチュッチュな幼き頃の僕がこんにちはしたので骨の髄までオタクエキスが浸透してるのかと思うと絶望すると同時に、これだけ手軽に幸せになれるのも悪くないと感じた切なさが、結局のところ僕の卒業の最たる原因となったのでしょう。全く関係ありませんが、オタクを卒業しても大学を卒業できるかどうかは定かでありませんで、毎年恒例の冬眠の時期ではございますが、気を抜かず日が沈むまでには起床するよう心がけて生きていこうと思います。

 

生きていこうといえば、夏目友人帳の6期が来年あるそうでして、とりあえず生きる理由が一つ増えました。車の免許もようやくかといった感じでして、温泉旅行も楽しみですし、バーでの仕事も楽しくやらせていただいてます。今年は特に何もない一年でしたが、総括として、オタクやめても期待していたほど生活がガラッと変わるわけではない、でしょう。生活がそんな変わってなけりゃ習慣もそんな変わってませんし、習慣がそんな変わらなけりゃ行動もそんな変わってないんでしょうし、行動がそんな変わってなけりゃ態度なんてなおさら変わってないでしょうし、態度が変わってなけりゃ根性なんてもはや以前と変わらずでしょう。つまるところ行動一つで何かが大きく変わるなんて夢物語はこの世に存在せず、アイドルとオタクに関する習慣がなくなったことなど生活において実に些細で、僕の歯の磨き方だったり食事の取り方だったり寝る時の姿勢だったり笑い方だったり泣き方だったりに影響が出た様子は皆無です。この世に大切なものなど一つもなく、言い換えれば全てが大切なもので、結局自分が何を大切に思うかが大切なものを定義しますから、大切でなくなってきているのなら自ずと代わりの何かや誰かに夢中になっていくもので、死ぬまでオタクだわと自他共に認めるキチガイくんもキチガイさんも、気づかぬうちにそこにはいなくなっているもんです。そこに一切の決意などなく、自分に納得したタイミングで皆さんもオタクから俺も昔はオタクしててさーという痛いおっさんにヘンゲしていくのでしょう。しかし、きっとそのとき大切だったものは自分の人生にとって絶対的に大切なもので、忘れるのはいいとしても当時を卑下する必要はなく、むしろそれは自分の人生を否定する行為ですから、大切だったものが血肉となった今、ずっと変わらぬ大切なものと新たな大切なものを糧に、清々しさをもってのんびりいこうと思います。

 

以上、痛いおっさんの年の瀬忌憚ないオタク奇譚が今年も来たん?の巻でした。

 

良いお年を。