ありちゃん

ひょんなことから、とある映画祭の運営に携わることとなった。アルバイト先の飲食店の常連さんに話を持ち掛けられ、二つ返事で承諾したのだが、家に帰りその映画祭を検索エンジンにかけ調べれば調べるほど、今回このお話をいただいたということは大変なことなのだと思い知らされた。どのような形でお手伝いするのか、まだ詳しいお話は伺えてないのだが、どうやらボランティアとしての参加らしい。映画ファンに言わせれば、こんなオイシイ話、金を払ってでも!といった具合らしいのだが、如何せん私はマニアやオタクと呼ばれるほど映画という文化に没頭している人間ではないので、この有り難みもよくわからず、日当でないかなあ、などと罰当たりなことを考えながら、著名な俳優の方々とお会いするその日に想いを馳せているのである。
 
この度、運も人も巡り合わせの恩恵を受け、貴重な体験をさせていただくわけだが、年間100本もの映画を視聴する運営スタッフの方々の中で、映画にさして詳しいわけでもなく、ましてや年間に片手で収まるほどしか劇場に足を運ばない私が、一体どのような視点でこの映画祭の運営の傍を担えばよいのか、皆目見当もつかないのであるが、期待されているのはそこではないのであろう。
 
となれば、ああだこうだと考えを巡らせても仕方がないのだが、もし運営スタッフのどなたかに「あなたの好きな映画は?」と聞かれたとして、自分が情報弱者である状況で適当なことは口にできないし、答えにまごついてしまえば「思春期なのかな?」と思われエラく恥をかいてしまうので、それなりの答えを用意しなければならない。
 
しかし、いくら頭を捻っても、派手なアクションに感心するばかりの私には「あの映画はマイノリティのルサンチマンが込められたノスタルジックな作品で…」などと、横文字をそれっぽく並べることしかできないわけで、やはり同じ土俵で戦っては勝ち目がないのだ。
 
そこで、視点を変えて、映画に匹敵するドラマチックな物語を身の回りに探してみたのだが、ちょうど私が熱中している「アイドル」という文化もドラマチックの連続ではないだろうか。
 
そもそも映画自体、とある人物の人生の断片を映し出したものに過ぎないのであるから、「僕の好きな映画は僕の人生です」と素っ頓狂なことを言っても間違いではないのだが、人様に面白おかしく語れるほど立派な人生を歩んできてはいないので、例えばアイドルなどのように、他人にとってもわかりやすいコンテンツを選択することが大事であろう。
 
と言っても、「ロザリオを打つとまるで騎士になったかのような感覚に陥るのです」「ケチャで愛を届けるということは実に祟高な行為でありまして…」「レスをもらう。これはただ目線を配られるという単なる動作として片付けられるような話ではないのです」などと私が力説したところで、感動を与えるどころか、折角得られつつあるアイドルオタクの市民権さえも剥奪されてしまうだろうから、クローズアップすべき焦点を間違えてはならない。
 
アイドルとオタクとが同じ時を共有する、いわゆる現場というトコロに渦巻く欲望。これほどまでにわかりやすいものもそうないだろう。そこに生まれるドラマとは、一体なんであろうか。才のある者であればこれだけで小説が丸々一本書けてしまいそうだが、「僕はアイドルの現場に映画のような充足感を覚えています」と得意顔で口走る私を想像しても、いい結果は見えてこないのだ。
 
結局のところ、アイドルという文化が映画ほどの文化的立場を勝ち得ていないのだから、何を言っても「夢に恋するロリコン」のレッテルが剥がれることはなく、私もそれを否定するほどエネルギッシュな人間ではないので、「ぼんとリンちゃんという映画が面白かったです。門前亜里さんの演技が特に素晴らしくて」の一言にとどめておくのが、良案なのだろう。
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