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アドルフに告ぐ

しこしこブログ

最近思うんです。マインドコントロールされてるんじゃないかって。

 
それは常識による作用、換言すれば"オタク"という言葉による支配的な自縄自縛です。
 
レールに沿っていくことが悪で、新たな道を切り開くのが善だと決めつけることのできるあなたは、きっと独善的ないい正義のヒーローになれるでしょう。
 
善悪、優劣ではなく単に選択肢としてこの二つをみたとき、アイドルの追っかけとして右倣えをしていては結果も右倣えのものになる可能性が高く、それとはまた別の解答を求める僕は必然的に別のやり方を模索しなければならないので、現状レールの上を走りながら周りをキョロキョロしてる感じですね。
 
あなたは人間ですか?と問われても、そうだと思いますと常識に当てはめて答えるのが正常ですから、あなたはオタクですか?と問われたら、そうだと思いますとしか言えないんですけど、ここに一度くらいは疑問を持ってもバチは当たらんだろうと。
 
何が言いたいかというと、"オタク"という言葉を使うことによってその言葉に対する印象の作り出す常識に暗示をかけられ、知らず知らずのうちに「オタク(アイドル好き)である自分は"オタク"(イメージ像)であるべき」と刷り込まれてるんじゃないかなって思ったんです。
 
例えば「繋がりたい」という考えを持っていても、この暗示にかかってりゃ"オタク"としての常識の範疇から逸しない答えしか出ないでしょうし、例えば応援って言葉一つとってみても、"オタク"としての応援が本当に最善の応援なのか真相は別にしても疑問にすら思わないのもなんだかなーと思うんです。
 
要するに、みんながみんなしてこの"オタク"という言葉に色んなたくさんの意味をつけすぎてるんじゃないのか、とこういうことです。
 
オタクの定義なんて知りませんし他人の決めたそれに興味湧かないんで勝手にやってくれって感じだし僕も勝手にやってるんですけど、広く「アイドル好きがオタク」だと考えたとき、それがアイドルという文化が好きでも、とあるアイドルグループが好きでも、とあるアイドルの子がアイドルとして好きでも、とあるアイドルの子が女の子として好きでも、なんでもいいんです。そこに幅を決めて線引きするほど野暮なこともないだろうと思いますし、先ほどの繋がりたいってのもアイドルの子が女の子として好きってオタクならそれもまたオタクらしいと言えます。それ以上もそれ以下もないのです。
 
とすれば、「"オタク"はアイドルに対して妄信的である」とするアレも、本質は「"オタク"は"オタク"に対して妄信的である」ってことなんじゃねーかなと思ったり。
 
"オタク"という言葉にこれでもかと付随されたたくさんのイメージからなるその意味に支配され、自らを縛り付け、「こうでなければならない」と半ば強迫観念のように生きているオタクが、他人にもその"オタク"というイメージで作られた枠をあてがって、強要し、叩く。だっさいですね、死んで欲しいです。
 
また、"人それぞれ"という言葉をオタクになってからよく耳にするようになったんですけど、そいつらの"人それぞれ"はオタクとしての常識のなかでの狭い狭い人それぞれでして、まあこういうこと言うと必ず「常識も知らずマナーも守れないクズめ」とか言ってくるゴミも一人二人いるんですけどね、社会の常識とお前らが勝手に作ったオタクの常識と、同系列で語るなキモいんだよってなもんですね。
 
兎にも角にも君の価値観を僕に押し付けないでね、とこういう了見なんです。
 
ももクロのオタクのことをモノノフと呼ぶ風潮ができて久しいですが、呼んでいるのは周りではなく自分たち。通称ではなく、自称なんですよアレ。そしてそのモノノフのモノノフに対するイメージによって作られたモノノフはこうあるべきというモノノフの常識によってモノノフが支配され束縛されていくのです。だから当時ももクロが好きだった頃、僕はモノノフ死ねと言い続けていましたし、ももクロに限らず今でもグループ特有のオタクの呼称を嫌います。ファミリーも結構ですが、勝手に家訓押し付けられたんじゃやってられんよ、と。ああいうのはアイドルが言うぶんには問題ないんです。オタクが言い始めるとおかしくなる。
 
飛べない鳥だって大空を羽ばたきたいんです。僕には助走つけて大きめのジャンプするだけで精一杯ですが、その夢を持てているうちは幸せなんですよ。内輪であーだこーだやってるぶんには文句も言いませんが、足掴むようなマネしたらてめえの目ん玉に糞してやるからな。
 
 
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