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ハコムスの魅力

とか書くと一気にアホっぽくなるのは承知のうえでこのタイトルなんですけど、なんか昔聞いた萎びたおっさんオタクの懐かしんでたのか嘆いていたのかようわからん呟きをふと思い出したんです。

 
"昔のアイドルには箔があった。眺めることすら躊躇するような高級ジュエリー店のショーウィンドウだったんだ。"
 
非日常感というか特別感というか別世界というか、天上界的な重みのある価値と距離が昔のアイドルにはあったんだろうなと想像してるんですけど、当時俺は「おっさんくせーな」くらいにしか思ってませんで、今ようやくその言葉に向き合わざるを得ない自分を皮肉に思うのです。
 
元は俺だってアイドルと話すたびに脇汗かいてテンパって非日常を味わってたオタクですけど、日常的にそれを繰り返すことでその行為の価値自体も日常化していきまして、いつしかアイドル自体にも日常感を覚えるようになったのは俺だけじゃないはずです。日常化したからこそ抜け出せないってなもんで、慣習化とも中毒とも言えるかもしれません。
 
今のアイドルは距離が近い分慣れも早くなりますし、その距離の近さはおっさんの言うところの箔を捨てることと同義で、昔が"高級ジュエリーショップ"なら、今はいいとこ"デパ地下"といったところでしょうか。少しだけ足を踏み入れづらくて色んなもの売ってて。
 
そんななか彗星の如く現れたハコムスこと"百貨店の画廊"。美術品を商品として見るという行為は、物理的な距離の近さだけでなく精神的により間近で見ることができるということでありまして、浮世離れした慣れ親しみのない絵画の存在そのものと、未来の教科書に載る予定の画家に非日常、言い換えて魅力を感じるのです。
 
値段など高くて構わんのです。そもそも美術館で眺めるものという認識ですから、商品として消費者目線で絵画を見れることに意味があり、買えるかどうかなど二の次。訳のわからない絵も百貨店の画廊ならではで逆に面白いと思えます。
 
俺が最近オタクしてないことになんとか理由付けしようとしてますが、まあきっとそんな大した理由もなく、よってそれを踏まえた現状のハコムス批判などしようもないんですが、"訳わかんない高い絵を百貨店で売る"という低俗か高尚かようわからん、でも確実に面白いと言えるその行為が、商売としての運命か利益追求により次第に研ぎ澄まされ無駄が削がれ"デパ地下化"、言い換えて日常に寄り添っていく様は悲しいやら寂しいやら。
 
女優業という天上界的な重みと距離と価値のある絵画を、アイドルという百貨店、デパートで商品として取り扱う。そこのバランスが実に面白いわけで、百貨店の画廊好きは誰もデパ地下のような商品陳列の美しさや手の届きやすさ、わかりやすさなど求めていないはずです。きっと。多分。恐らくは。
 
デパ地下に行き慣れたことで百貨店そのものへの抵抗感はクリアしてますので、上部階の催事コーナーに特設された画廊へのアクセスは容易で、そこには非日常的な面白さがあるのですから、やはり客に媚びることなく、いや、金に媚びることなく、独自路線をひた走って欲しいものです。
 
語弊を恐れず失礼なことを言いますが、マンネリ化しつつあるライブを月に何本もやって小銭稼ぎするくらいなら、アイドルであることの証明になる程度のライブ本数に個人の仕事、俺の願望としては訳のわからん舞台でも観せてくれたら最高だなと思います。
 
女優志望なのに演技レッスンよりライブレッスンのが多いってなんかよくわかんないですし、そこもやっぱりバランスが大事だろうと思います。アイドルやりたいのか女優やりたいのかどっちもやりたいのか知りませんが、わざわざ大衆に寄っていくなよもったいないと思ってしまう、俺の身勝手な価値観によるハコムスの魅力でした。
 
明日もきっとハコムスのみんなは変わらず可愛いから、騙されないよう。
 
 
 
 
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