さんみゅ〜の個人ツイッターについて


さんみゅ〜の個人ツイッターがいいツールになってるなと感じる今日この頃です。僕はもとより野田真実ちゃんと新原聖生ちゃんしかフォローしてないんで他はしらないんですけど、大きく開かれた情報の門戸としてだけでなく、うまいことコミュニケーションとしての役割を果たしてるなと。言い方は悪いですが、今まで変に地上ぶってたといいますか、メンバーとそのオタクの関係が川の上流下流のようなものであったように思います。これも"21世紀最初の"という文言通り、過去テレビスターの存在であったアイドルの姿を踏襲したカタチの一つだったと思うんですが、その文言もここ最近ぱったりと聞かなくなり、それは個人ツイッターの存在根拠にもなっていると思います。そもそもアイドルが時代の移り変わりに合わせて、天界から大衆に向けて情報を一方的に落とすという方法から、教えを説きながら俗世を歩き回るかの如く相対的に少ない人々に向けて情報提供する方法をとった時点で、そこには陸の民であるファンとのコミュニケーションが生まれて必然でして、これによりアイドルのファンに対する平等性が建前に成り下がり、ゆえにハングリー精神に満ち満ちたオタクと呼ばれる人種が生まれたわけです。あくまでショービズですんで、サーブする側の段階で提供される楽しさそれぞれに差異があることを表立って認めるなんてことはしませんし、人を多く集めるためにアイドルという言葉に含まれる平等という意味合いを利用するのは至極真っ当です。ただ、それが建前でなく本質なら、接触という集金方法は、天界人と関わりを持ちたいという僕らの欲を一通り満たしたところで頭打ちになるはずです。しかし現実、接触による集金はどのアイドルでも終わりをみていません。この事実は二つを意味してまして、一つはアイドルがオタクに対して人間的な不平等性を持ち合わせているということ、もう一つがオタクもそれを認め、その上で不平等のうまみを享受しようと動いているということです。この不平等のうまみというのは人によって違いまして、全部大きくまとめて言えば"強さ"なんですけど、それがファン的なものであるのか、プロデューサー的なものであるのか、恋愛的なものであるのか、それぞれ形は違ってもやはりアイドルが不平等であるがゆえに享受できるモノなのです。裏を返せば、このご時世に陸に降りてきといて平等を律儀に守る社会主義的なアイドルに大した成長はないということです。要は自由競争社会ですんで、妬み嫉み恨み辛みばかりのガチンコバトルをやってやろうというのが資本主義に生きる者のあるべき姿なんじゃないですかね。現状彼女らもとても楽しそうですんで、まあそれがなによりですが。燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや。誰が鴻鵠かはしりませんが、どうやら欲の少ないことを美徳にする時代ではなさそうです。