オタク幼稚園児

 

傷つくことを恐れてたらって言葉が、陳腐という扱いを受けています。綺麗事に聞こえがちです。でもきっと真実で、あーだこーだ理由つけてこれを否定する人はおしなべて臆病です。

 

傷つくことは誰だって怖い、なんて言いますが、この言葉は皆公平だということです。そこで傷つきに行くか、辞めるか、その選択は叶えるか、諦めるかと同義です。平等でないにしろ、公平ではあるわけで、あとは図太さでも勇気でもなく、覚悟だけです。開き直りと言ってもいいです。傷ついた皮膚は厚く再生しますから、どんどん傷つきに行ったもの勝ちです。恐れずに、ではなく、恐れてもいいんです。怖くない人なんていないですから。でも怖くても進むことが習慣になれば、きっとなんでも叶うはずです。

 

アイドルはきっと傷つくことばかりです。運営、メンバー、オタク、家族、友達、彼氏。全員味方にも、時には敵にも思えるでしょう。毎日毎日、いやオーディションのその日から彼女らは傷つきにきたわけです。たとえそのときに自覚がなくとも、覚悟がなくとも、です。

 

オタクは基本的に傷つくことを恐れている人たちばかりだと思います。個人的な感想です。僕も例外ではなかったでしょう。恋愛で痛い目みたからでしょうか。この人種は、自分が傷つけられることにやたら敏感です。被害者ぶることだけは達者です。やれファボが云々、やれリプが云々、やれレスが云々、やれ対応が云々。自分のことばかりです。引き換えに人を傷つけることに対してはひどく鈍感です。アイドルはアイドル。人ではないようです。頭でわかっていても、心と身体は正直です。ドルオタの常識、見慣れた光景という名の数々の奇行を見てきました。そしてそれら全ての免罪符として、言い訳として、建前として、金を払い、客という守られた立場に必死にしがみつくのです。傷つくのが怖いのです。マネーバリアの中から槍でつつくのが精一杯。一歩も動きやしません。趣味だから、なら人間関係に必要以上のものを求めるのは筋違いです。観て聴いて、ありがとうと伝えるだけで十分なはずです。ライフワークというなら、飛び出したらどうでしょうか。人生を何かで語るとき、掛けた時間だけでは語れないはずです。人と人との関係を趣味として楽しむだなんてほざく輩はやっぱりどこかおかしく、いくら「アイドル」という名称で、そういう職業だとしても、コンビニの店員に横柄な態度をとらずとも、ありがとうも言えないような人間にはなるな、と孔子だって言うはずでしょう。

 

なにもガチ恋の話をしているわけではありません。ただ、ドルオタとガチ恋はほぼ同義です。恋愛感情を抱いているかどうかには左右されません。そこに青春のないオタクは、前述の通り、観て聴いてありがとうだけで完結するはずです。そこに人間関係を見出すなら、それ以上を求めるなら、傷つくリスクを背負うのが責任であり、人間として誠実であると言えるのではないでしょうか。自分は客だけど、客以上の対応を求め、貰えなきゃ不平不満、批難で簡単に傷つける。被害者ぶる資格がどこにあるんでしょうか。そんな人間に誰が振り向くんでしょうか。

 

なぜか皆かっこつけて、「俺は違う」という顔をしたがります。ガチ恋という表現が適切でないとしても、きっともうただの趣味ではないはずです。人間関係は対等で初めて成立です。いつまでも守られた気になって、ぬくぬくぬるま湯に浸かりきって、だから抜け出せないんでしょう。足洗って現実世界に戻っても、結局は現場に帰ってくるんでしょう。傷つけられれば他の現場に行くんでしょう。一生そうしててください。アイドルソングがいい具合にオルゴールを演出します。巻いたネジが止まるまで、ぐるぐるとアイドルソングを背に踊っていただけたら、僕はそれをツマミにまた旨い酒が飲めるわけです。

 

自分を、オタクだから、と卑下するのは自己保護のためでしょうか。落としておけば、傷つかなくて済むから。どんなにキモくても、社会に理解されなくても、それを頭で理解してるなら、むしろ理解した上でも辞められないことを開き直って受け入れるべきでしょう。誇りなんて持たなくていいですが、自分でくらい認めてあげるべきではないでしょうか。

 

ひとたび人間関係に足を踏み入れれば、思いやりが全てです。それは結局のところ利己が出発点だとしても、その優しさは利他に繋がります。傷つくことを受け入れれば、余裕だって生まれます。そしたらきっと、なんでも叶うんじゃないんですかね。

 

もう誰のためにもならない、どこか満たされない想いを抱えてただ推しの卒業を待つくらいなら、金を払わないと会えない話せないというジレンマを乗り越えて、お友達になりましょうと声を掛けてみてはいいがでしょうか。

 

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