鉄戸美桜さんが卒業したと聞いて

 

お疲れ様でございました。

 

最後までやりきった、ということはとても意味のあることだと思います。色々あったでしょう。辞めたい時もあったはずです。他にもっとやりたいことがあったかもしれません。でも、やりきったわけで、それは財産です。

 

そう長い期間現場に通ってたわけではないので、僕の記憶の中の鉄戸さんと現在の鉄戸さんとでは大きな乖離があるんでしょうが、まあんなことはどーでもよくて、よかったな、と思うわけです。

 

たまーについったーを開けば僕のフォローにはオタクしかいなく、名前も知らないアイドルの名前が多く飛び交う中、懐かしい名前もちらほら見受けられ、その一つに卒業の情報があったのです。

 

こないだ友人に連れられ名前も知らないわけもわからんアイドルの現場に行きましたが、滾ってるオタクがひたすら怖く、異様な空気に居心地の悪さを覚えましたが、これはオタクをやめて慣れがなくなったからももちろん、しかし元からそーいう空気感苦手だったかもと思った次第で、なぜならまったりした現場ばっか行ってた自分の過去の行動が示しているわけです。その最たるがハコムス現場だったんだろうなと思うのです。

 

なんかゆるく歌って踊ってる子たちが、不安も不満も楽しさも辛さも混ぜこぜで、初々しく、クサくない身内感といいますか、許される空間だったと記憶してます。身内感が強くなり過ぎればクサく、輪に入りたくない思いが強くなってしまいますが、僕のような人も寛容されるあの空気感が好きで、だからこそ内山珠希さんの卒業は悲しかった。ハコから飛び出してるとかクソみたいなジジイ共、童貞共の戯言で彼女が1ミリでも悩んでいたら寂しいなと、ハコムスの許される空気感は終わったのかなと感じたのです。一つ思い出すと数珠繋ぎですね。

 

といっても、僕が許されなくなったのはもう少し前で、2ちゃんがお祭りで、人の嫉妬がとても心地よかったあの頃も楽しかったんですがね。オタクの欲が肥大しすぎると空気が狂うわけで、自意識過剰にも一抹の責任を感じたりしました。

 

唯一はっきりと楽しさを覚えているライブがありまして、カルチャーズの平日隔週定期公演だったのですが、客入りが悪く、後方の席がガラガラに空いていたのでゆったりと背もたれながらニコニコと眺めていただけなんですがね。当時まだ僕も絶賛大学生でしたんで、講義終わりかなんかに向かって、その時着ていた服まで覚えてます。もちろん僕の、です。ライブの内容なんてこれっぽっちも覚えちゃいませんが、一人で観ていたのにあんなに楽しかったなんて、さんみゅ〜はオタクとの繋がりで主に楽しかったですが、ハコムスはワイワイもせずただ楽しんでましたんで、そういう意味でも現場の空気そのものが僕に合ってたんだろうなと思うのです。

 

自意識過剰続きですが、自分の好きなもんは自分の好きなようにしたいのが人間のサガでして、僕の発言がより影響力を持つようついったーをぽちぽちしたりしたものです。結果いい方向に導けていたのか、そもそも1ミリでも影響を及ぼすことができていたのかは知り得ませんが、自己満足はできてたんで、僕的には成功なんです。

 

最後にオタクしたのがハコムスなんで、んでその時の推しが鉄戸なんで、僕のハコムスはこれにて終焉なのです。ハコムスは小学生ワラワラでまだまだ続くよ!と言われても、例えまだ僕がハコムスのオタクだったとしても頷くわけにいかず、それが矜恃というか節操というか、まあちゃんとオタクだったということです。惰性など不必要な世界ですから。メンバーみんな好きだけどこいつ居なくなったらあんま行く意味ねえなって思う奴が大抵いるもんで、鉄戸が多くの人からそう思われていたならそれはいいことです。ハコムスの今後も、鉄戸の今後も知ったこっちゃなく、ただハコムスの鉄戸、もしくは鉄戸ありきのハコムスが終わったという認識がオタクとしてもっともオタクらしく、その認識を確認した時点でもうオタクではなくなってるんでしょう。そして、そうやって鉄戸もアイドルではなくなっていくのです。小学生だらけのハコムスに奮って通うこともなく、鉄戸が新たなスタートを切るように、また別の人生をおっかなびっくり歩くわけです。おかえり現実。

 

是非ともこれからという先にわくわくしてほしく、これから出会ういいことも嫌なことも最高だぜと言える気概を持っていただきたい。自分自身が変わらず最高なら、身の回りに起こる全ては良しも悪しも最高なんです。うはーまじやべえって笑いながら言える人間になってくれたらなと思います。積極的、消極的に差があろうとも、人に選ばされた道なんてこの世に、誰の中にもありませんので、自分の選んだ道は常に最高だと信じて、僕の大好きだった鉄戸の素敵な笑顔を忘れずに楽しく頑張ってください。

 

大変ご苦労様でございました。