菅沼もにかさんにみるアイドルの幸せ

 

リツイートでたまーーーに流れてくる菅沼さんのツイートを拝見して、なにがなんやらわからんくなります。

 

結果クビになったのかなんなのか知りませんし知り得ませんが、仕事依頼先を個人のGmailに設定しているあたり、察するところではあります。一年間は新たな事務所への所属を控えるべきみたいな風習があると聞いたことがありますので、あと半年後にどっかの事務所に所属することになるのでしょうか。ただ、菅沼ビジョンにさほど興味はなく、今が幸せなら、その先もきっと幸せなんだろうなと思うわけです。

 

結婚するアイドルの須藤さんだってきっと幸せで、それはしかし、本人が外野からの干渉をどれほど受けているかに左右されます。盲目であるなら、もしくは外野の意見を賢く取捨選択してヘイトを無視できているなら、幸せです。しかし、自分にとって必要でない意見まで真摯に受け止めてしまっていては幸せなどありません。世間からのヘイトに押しつぶされて、ビクビクしながら生活してるでしょうし、交際だってすぐに破綻してしまうでしょう。外野からの影響で幸せになる人は、外野からの影響で不幸せになる人です。自分で幸せ、不幸せを決めることができる人は、自分で勝手に幸せになり、自分で勝手に不幸せになります。幸せの基準を外に置くのか、内に置くのか、決めるのは俺ら次第だそうです。

 

運営がうるさくて、オタクがうるさくて、メンバーがめんどくて、世間の目がだるくて、それらを意識するから自縄自縛になって、苦しいんですかね。慣れりゃ諦められるんです、何事も。こんなもんだって受け容れてしまえば、特段キツくなんてありません。日常で当たり前になります。しかし、ずっとつきまとっているのが、失うことへの恐怖です。

 

この場が、この位置が、今の自分にとって最良だと疑わず、夢への最短ルートだと、事務所に所属し、運営に従い、ある種しがみついているかのような様ではありますが、安心を求めるのは誰しもそうです。根拠が欲しいんでしょうか。夢へ近づいているという。今夢を追えているという。夢への道程に、確実に立っているんだという。その為、そこにいるんでしょうか。

 

一転、その価値観で考えるなら、全てを失ったと言ってもいい菅沼さんですが、その悲壮感もなく、絶望感もなくツイッターやってます。なんだかスッキリしてるようにも見えて、本当のところなんて知りませんが、他人事ながらこれで良かったような気すらします。あのままハコムス復帰なんてなってたら、痛々しさを引きずっていたでしょうね。メンバーとも、オタクとも変な距離感があって、一見そんな溝は埋まってるように思えても、前と同じ、なんてことはあり得ないわけですから。どこかが違って見えて、それはきっと良くない方向だったでしょう。だってキッカケが良くない出来事でしたから。

 

しかし、今の菅沼さんは何にも囚われることなく、活動できている気がします。最近の動向なんて知らないんで間違ってたら申し訳ないんですが、きっと仕事なんてほぼほぼしてないでしょう。舞台かなんかが決まったみたいのは流れてきたんでみました。もちろんハコムスのときのがたくさん仕事してましたよね。Rの法則にも出たりなんかしちゃって、未来明るい!みたいな感じでしたよね。明らかにハコムスで一番売れそう、てか売れてましたし。最初から周りとはオーラ違いましたしね。

 

で、あのまんまいってたら売れてたんでしょうかね。あれが夢への最短ルートだったんでしょうかね。まあきっと、菅沼さんに限ってはそうだったのかもしれません。あのまんまと、今と、どっちが売れんの早そうかなって、そりゃ前者です。しかし、皆さんご承知の通り、あくまで可能性をより感じるのはどっち?って話で、あのまんまいって売れた保証なんて全くないんです。オタクはバカなんで「あのまんまいってたらなあ」とタラレバで語りがちです。なにを根拠に?と聞いてみたいですね。事務所に所属してたから?運営やらマネージャーやらに推されてたから?地上波に出てたから?アホかと。それらはなんの根拠にもなっちゃいません。そもそも売れる、なんてのは状況証拠的に、環境に根拠を求められるようなもんじゃないんじゃないですかね。運が必要とかそんな当たり前のことをぺらぺらぬかすバカはほっといたとして、これがあったから売れました!ってのは、一見周りの影響が大きいような気がしますが、掘って掘って考えてみたら、大概は本人の中に根拠があったりするもんだと思います。ということは、どこでどう生きるか、みたいな話になるんじゃないでしょうか。

 

つまりは、自分で選択することの幸せ、です。選択できることの幸せ、と言い換えてもいい。

 

ここからは天秤のお話になっちゃうんですが、例えば売れっ子女優になるのが夢だとして、その為に苦渋を舐める幸せがあって、一方、自分で、自分の選択の及ぶ範囲で活動をしながら夢を追いかける幸せがあって、どちらも皮肉抜きに幸せであることは間違いないわけですが、どちらが自分に合っているのか、天秤にかけてみたとき、自ずと答えが出てくるのではないでしょうか。きっとどちらも幸せなんですから、どちらかに執着する必要なんてない気がします。そうやって天秤にかけてみること自体が、自分で選択する幸せであり、その結果はある程度容易に受け入れられるようになるんではないのかな。

 

菅沼さんの場合、願わずそんな状況に陥ったんでしょうが、自分のペースで活動して、プライベートもあり、あんなことあったにも関わらずファンはついてきてくれてて、それを幸せと呼ばずなんと呼ぶのでしょうか。

 

きっと焦燥感とか、後悔とかも少なからずあるんでしょうが、それはまた活動が軌道に乗ったとき活かせばいいわけで、言い方悪いですが、いつまでやるともわからん芸能活動において、今確実に幸せなのと、いつ来るかもずっと来ないかもわからん「いつか」の売れるときのために、と信じてそれなりの苦痛を受け容れているのと、どちらがいいのか僕にはわかりません。ただ、やりたいことがあってやってるんなら、やりたいことをやりたいようにやってる人が一番幸せで、そこに他人の干渉など必要なく、死んでもやめない、諦めないほどの執着と意志がないのなら、今どうなのか、が判断基準になっていいと思うんです。結局、今の立ち位置がなくなったとき、夢を追い続ける自信がないからしがみついてしまう面もあるんでしょう。だから菅沼さんはすごいです。なにも後ろ盾がないであろう現状において、まだ夢を追っている。あの人の強さはそういうところで、それもまた自分で選択する幸せありきなんでしょう。今やりたいことが、あとあとでもできる保証なんてないんです。隣の芝生は青いもんですが、自分の立ち位置に納得できている人が最強なんだと思います。

 

 本人も、運営も、オタクも、家族でさえも、「売れる」という蜃気楼に惑わされ、それ基準で活動を評価し続けることに、極端に狭い視野で自分を納得させ続けることに、どれだけ盲目的になれるのか、その限界の先にはなにが待っているんでしょうか。

 

夢を追いかけるには、今の自分を認めることが大切です。今の自分を否定して、だからこうなりたい!と強く願うカタチの夢は多々見受けられます。それで成功した人もいるのかもしれません。じゃあ、それで成功しなかった残りのほぼ全ての人はどうなるんでしょうか。一生自分を否定し続けるんでしょうね。このままじゃ自分はダメだ!で生きてきて、結局夢は叶わなかった。人生に否定しかありません。そこに幸せはありません。俺はこんな感じでいい感じだなあ、と思うことの大切さ、それを大前提に夢を追いかけないと、うまいこといくもんもうまいこといかないんじゃないでしょうか。

 

今の幸せを噛み締められている人は、将来においても幸せを味わえる人だと思います。逼迫することなく、ゆるやかな心持ちで、自分で選択する幸せを享受したいものです。