トゲトゲと接触のソシャゲ化について

ここまでくると良かれ悪しかれの舵取りの問題ではないような気がします。半端なのは勇気の欠如によるものなのか、大した理由も思考もない提案だからなのか。

春に運営の脳みそが変わり、目先のことで言えば接触の剥がしが緩くなっただとかメンバーの公式個人ツイッターが解禁されただとか、ある面での環境の改善がなされたといっていいと思うんですが、良し悪しは置いといてとりあえずありきたりに落ち着くようになったんだと理解してます。そういう状況を前提に、大げさに言うところの改革の一環として新曲トゲトゲのお披露目なのです。

案の定誰よりも純白であるオタクの保守的な部分を刺激することとなりましたが、お披露目を重ねるうちに「これもアリだこの良さがわからんとは」とうまいこと収束していく様はまさに純白であり、運営様の読み通りに事が運んでるんだろうと勘ぐってしまう次第でして、曲を聴かずともメンバー本人ら以外に変革に対する思い切りだとか覚悟なんて存在しないベッキー様召喚なんだろうと察しがつくわけです。結局のところそこに新たに練られた思考などなく、ただ単に他所から持ってきた思考の型にさんみゅ〜を当てはめたに過ぎず、そうなると、剥がしの緩さだとか衣装の黒さだとか曲の沸ける具合だとかの程度の話など運営様にとっちゃ大した問題でなく、ここらで新たなさんみゅ〜像を提示したらおもしろくね?ついでになんか変わるんじゃね?的な、小学生が既存の遊びに独自のルールを付け加えるような安直さが垣間見えるのです。

なにも沸ける路線を否定しようだなんて全く考えておらず、それならそうとこっちも適応しようと動く意思を持ってるんですが、そもそも、なにを求めてのその選択なのか、がオタクのなかで理解されてようやく選択の意義が達成されるわけでして、それがただなんとなくならば、オタクもいつも通りただなんとなく楽しんじゃって、結果に変化は生まれません。そりゃ見た目は真っ黒だしメンバーカラーなんてもんもできてるし曲調もさんみゅ〜にとっては新しいものなのかもしれませんが、大きくアイドル業界のなかで見てみるとありきたりもいいところでして、それで爆発的な変化が生まれると本気で考えていたなら、純白なオタクに甘てきた今までのツケといいますか、ぬるま湯に浸かりきってんだろうなという感想以外なにもなく、まあそういうところが半端な印象に繋がっているのかなと思う次第です。

収穫としましては、トゲトゲも綺麗にまとまった商品として表現できてるメンバーの実力を再確認することが挙げられますが、だからこそなんだか勿体無い気もするわけです。今のさんみゅ〜ならなにやってもそれなりのものが出来上がるからこそ、そこに甘えてはいけない気がするのは、きっとオタクの勝手な意見なんでしょう。個人的な話をすれば、革新を狙う意向を大げさに受け取ってのジャンプでもあるんですけど、オタクが焦ってもなにもいいことはありませんので、ありきたりでもなんでもこっちが楽しむことを思考停止的に優先する選択も全然アリなんじゃないかなと考えるこの頃です。

今回も一番悩んで一番頑張ったのは疑いもなくメンバーですから、ただの操り人形ではなく、ちゃんと意思を持った彼女らに配慮がなされないことほど悲しいこともありませんので、オタクの皆さんにはさんみゅ〜の楽しみ方のボキャブラリーを是非とも増やしてもらい、沸き曲→聴き曲→沸き曲のセトリの流れにも負けず「さんみゅ〜らしいな」とのたまえるくらいの甲斐性を持つ寛容さとスキルで、これからの迷走にも楽しく付き合い、武道館が埋まればいいなと願います。

「イベント特典券」1枚につき、「個別握手会参加券」1枚を抽選箱よりお引きいただき(どのメンバーにも使用可能な★マークの特別券有り)、券面に記載されたメンバーとの個別握手会に、お1人様が1回ご参加いただけます。

CDの売上とグループの人気は比例しませんから、どっちを目指すのかが運営様の方針として一つ重要であると思うのですが、オタクに優しくない、トゲトゲという火薬にあえて水を差すこの提案は、オリコンオリコンうるさかったあの頃を懐古させる思惑なのでしょうか。平等と成長は大抵相反するものでして、素人目ではありますが人気ないならもっと頑張れってのが芸能界だと思うんですが、どうなんでしょうか。木下綾菜さんだけ時間がかかりすぎて早くお家に帰れないってなら開始時間早めれば?ってお話ですし、その分お金が入ってることを考えればより増進を目論むのが資本主義下にある企業としての正しい努力でしょうし、増えていく需要をあえて裏切るだなんておもしろくもありませんので、目当てが出るまで買い続けることによってより売れる、みたいな純白オタクに対する甘え丸出し作戦なのかと勘ぐるに至るんですが、なるほどソシャゲのガチャを模したこの制度はオタクの民度をはかるいい提案なのかもしれません。オタクが握手券を交換し合い、そこにコミュニケーションが生まれ、オタクネットワークが広がり、延いては新規の定着に繋がるという壮大な意図があるのかもしれませんし、新規のうちの7が来なくなっても、残りの3のそれを補うだけの購買を促進する作戦と自負してるんでしょう。

いよいよ運営様の頭の中がカオスになってきましたが、オタクもメンバーもカオスになればなんちゃって統一の完成かなと思い込むことにします。果たして、言い伝え通り救世主は現れるんでしょうか。

マイ・フレンドシップ・キルト(ネタバレあります)

野田真実ちゃんが可愛いので観に行きました。特に何かを期待してということもなく、アイドル映画らしく出演者の可愛い映像が観れればいいかなくらいの感じでカルチャーズに向かったんですが、なんと形容していいものか。そもそも僕はまみちゃんが出演するから観に行ったわけなので、その映画の内容だったり出来だったりは二の次でして、スクリーンに映し出されるまみちゃんを拝めただけで満足であることに留意して。まず、映画はやっぱり映画館で観るものだなと。あと上映時間44分と試写会直前にアナウンスされたんですけど、これでフル尺なんでしょうか。物語自体は簡単なのに話の繋ぎ目が荒くて「なんで?」がいくつも。試写会用に無理に縮めた結果のこれなのか、まだ編集途中なのかよくわかりませんが、二度目の謝罪の意味、写真部の子の気持ちの変化とそのきっかけ、横断幕製作の目的の未達成、とまあ結局この映画を通して何が言いたかったのかさえよくわからなく、それが友情なら写真部の子の心境の変化の描写は外せないでしょうし、恋愛であってもまた写真部の子がキーマンでしょうし、話の柱として横断幕製作があるのに最後は主人公抜きで作るだけ作ったのはいいとしても、部屋で写真を撮るために作ったのか、応援のためじゃないのか、なぜ試合に応援に行かないと疑問が次々湧いてきまして、一体彼女たちは何がしたかったのでしょうか。横断幕の製作と重ね合わせて友情をキルティングしていく的なあれなんだろうと題名をみて想像してたんですけど、終わってみればテーマが青春のなんであったのかわからずじまいでした。ただ、この映画の大きな特徴であろうコマ割りを多用する編集は面白かったです。演技に関しては、やはり小松もかちゃんがさすがといった印象でして、目も当てられないという子もおらず、すんなりと観ることができました。しっかりとみんな可愛く撮れてましたので、それ以上のことをあーだこーだと言うのも野暮なのかもしれません。野田真実ちゃんがずっとやりたがっていた演技の仕事がこうやってカタチになったということに一番の意義を感じてまして、それに加えてマネージャー役が相当可愛かったので、良かったと思います。これを一つのきっかけに、女優としての仕事が増えていけばと願うところであります。

さんみゅ〜の個人ツイッターについて


さんみゅ〜の個人ツイッターがいいツールになってるなと感じる今日この頃です。僕はもとより野田真実ちゃんと新原聖生ちゃんしかフォローしてないんで他はしらないんですけど、大きく開かれた情報の門戸としてだけでなく、うまいことコミュニケーションとしての役割を果たしてるなと。言い方は悪いですが、今まで変に地上ぶってたといいますか、メンバーとそのオタクの関係が川の上流下流のようなものであったように思います。これも"21世紀最初の"という文言通り、過去テレビスターの存在であったアイドルの姿を踏襲したカタチの一つだったと思うんですが、その文言もここ最近ぱったりと聞かなくなり、それは個人ツイッターの存在根拠にもなっていると思います。そもそもアイドルが時代の移り変わりに合わせて、天界から大衆に向けて情報を一方的に落とすという方法から、教えを説きながら俗世を歩き回るかの如く相対的に少ない人々に向けて情報提供する方法をとった時点で、そこには陸の民であるファンとのコミュニケーションが生まれて必然でして、これによりアイドルのファンに対する平等性が建前に成り下がり、ゆえにハングリー精神に満ち満ちたオタクと呼ばれる人種が生まれたわけです。あくまでショービズですんで、サーブする側の段階で提供される楽しさそれぞれに差異があることを表立って認めるなんてことはしませんし、人を多く集めるためにアイドルという言葉に含まれる平等という意味合いを利用するのは至極真っ当です。ただ、それが建前でなく本質なら、接触という集金方法は、天界人と関わりを持ちたいという僕らの欲を一通り満たしたところで頭打ちになるはずです。しかし現実、接触による集金はどのアイドルでも終わりをみていません。この事実は二つを意味してまして、一つはアイドルがオタクに対して人間的な不平等性を持ち合わせているということ、もう一つがオタクもそれを認め、その上で不平等のうまみを享受しようと動いているということです。この不平等のうまみというのは人によって違いまして、全部大きくまとめて言えば"強さ"なんですけど、それがファン的なものであるのか、プロデューサー的なものであるのか、恋愛的なものであるのか、それぞれ形は違ってもやはりアイドルが不平等であるがゆえに享受できるモノなのです。裏を返せば、このご時世に陸に降りてきといて平等を律儀に守る社会主義的なアイドルに大した成長はないということです。要は自由競争社会ですんで、妬み嫉み恨み辛みばかりのガチンコバトルをやってやろうというのが資本主義に生きる者のあるべき姿なんじゃないですかね。現状彼女らもとても楽しそうですんで、まあそれがなによりですが。燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや。誰が鴻鵠かはしりませんが、どうやら欲の少ないことを美徳にする時代ではなさそうです。


さんみゅ〜でもハコムスでもどこでも個性さん

現場の雰囲気を作るのはもちろん現場にいる人間やら環境ですから、アイドルのイメージないしはアイドルそのものが少なからず現場によって作られることが明白な現実、"オタクがアイドルを育てる"という言葉を否定できません。

しかし、事実オタクがいい現場の雰囲気作ってアイドルをちゃんと育ててるところなんて滅多に目にしません。やっぱオタクが持ってんのは減らない口とペンライト振るだけの手とマサイするだけの足とオタT着るだけの胴しかねーのかと、自戒の念も込めて考えてしまうのも仕方ないんでしょう。

というのも、世の中"この子たちはこうあるべきだ"ばかりで、逆にどうあるべきか、こうあるべきだと言う側であるオタクの僕さえもよくわからなくなってきてしまったのです。

もちろんアイドルがオタクを惹きつけるわけですから、ルックスから方向性、オタクの質や運営のクセまで幅広く"アイドルの個性"によってある程度選別されたオタクしかそこにはいないんですけど、目の粗いふるいに掛けられただけでは統一などなり得ません。一つの同じアイドルを好きになったオタクたちも、ある程度の幅の中に収まってるにしても、それぞれが色々な"こうあるべきだ"を持っているわけです。

この"こうあるべきだ"は、言い換えればその人が感じている、対象であるアイドルの良さなんですけど、それが正しいかどうかなんて結局数の暴力みたいな話になっちゃいますので、僕の好むところではありません。先ほど著述したように、個性によってふるいに掛けられたということは、言い換えれば個性に惹きつけられたということですので、人の好みにまでちょっかい出すなど無粋というものです。

しかし、TwitterのTL上が毎日文句の垂れ流しであることは誇大表現ですがまあまあ事実ですし、それらは、いわば理解できぬ他人の"こうあるべきだ"によって自分の恋路を邪魔されてるから漏れているのでしょう。急に切ない物語ですね。

なんてことを言っていますが、皆が恋路を邪魔しあっていることに対してはまだ健康的であると思います。ガチ恋にも似たようなことが言えますしね。しかし、なんだか"個性"に対する認識といいますか、個性の在り方、使い方について疑問が残るんです。

個性の在り方もなにも、ただそこにあるのが個性であり、その存在自体に干渉しようというわけではありません。ただ、個性をどう捉えて活用するかの話になると、皆狂ったかのように「オンリーワン!」と叫ぶのです。きっと何かの宗教だと思うんですが、僕はその方面に強くありませんので確証はありません。そもそも個性被りなんてクソほどありますし、皆違って皆いいもわかるんですけどそれはやっぱ皆違うから皆いいってことでしょうし、その違いが個性で、それは競争のために利用されてやっと意味を成すと思うんです。ナンバーワンのための個性です。

個性はオンリーワンのためでなく、ナンバーワンのためにあるべきで、またオンリーワンはナンバーワンに繋げていかなければ何の意味もない。ということなんですけど、それは武器として使われて初めて個性が個性たり得るといいましょうか、単に比べられないものが個性ではなく、比べられた時に優劣の優になるためにもつ特徴が個性といった感じです。その人が他人と比較されることによって初めてそれぞれの個性が意味を持つんです。ですから、武器になってないような個性なんて個性ではなく、そんなものに固執して"こうあるべきだ"などとほざいた日には、いよいよそいつの価値観とやらを保護の網から放り投げてワニにでも食わしてやらないといけないのかもしれません。

しかし、ある人が"こうあるべきだ"と一つの武器としての個性をあげたとして、その人に対してはそれが武器として刺さったわけですから、"こうあるべきだ"の数だけ武器としての個性があるわけです。となるとワニに食わすものもなく餓死を心配することとなりますが、先に"育てる"と言いましたように、成長がなくてはいけません。右に行ったらイワシが釣れて、左に行ったらゴンズイが釣れて、と右往左往してきたとしたら、成長のためには右に進んでいくのが賢明でしょうし、前に行ったら10匹釣れて、後ろに行ったら100匹釣れて、と前後してきたなら、成長のために後ろに進んでいくのがスマートでしょう。

先述した通り、好きな人の好きなところに正しいもクソもありませんし、そんなもの決めようもんならどんな結果になっても数の暴力みたいな話になりますんで、好きなところと"こうあるべきだ"を切り離して考えてあげると、自ずとアイドルを育てることに繋がり、オタクのゴミみたいな自己満足的欲求も満たされるんじゃないでしょうか。ということでした。

さんみゅ〜もハコムスも、オタクよりメンバーの方が感じてることが多いのは当たり前ですし、となると考えてることも確実に多いわけですから、僕は、彼女らの他者の意見に依存しない、ある意味では身勝手な成長過程も見てみたいなと怖いもの見たさに思いながら、現実ではオタクの言葉に耳を傾けてくれてる心優しい彼女らの幸せな未来を願わずにいられません。

さんみゅ〜の3000RTの賜物こと代々木公園フリーライブもいい感じでして、ここでこれほどのライブが出来るだけの体力のあるアイドルになったんだなとしみじみ思うところがありました。二周ほどまわりまわって今はただ楽しくさんみゅ〜に、そして野田真実ちゃんに会いにいけてる現実がありますので、厄介な概念もなんもなく、オタクという言葉にとらわれずに「どうあってもいいかな」と、のほほんとライブを観れることに感謝したいと思います。


いいオタク



行動の結果が相手の心情に反映されるだけであり、その相手の心情に重きを置いて行動を決定するなど愚の骨頂ですが、本当に愚の骨頂なのでしょうか。

アイドルオタク専用お悩み相談室があればいいなと思う昨今、結局お手上げされて縁切寺みたいになる未来が見えますので、今日もしこしこするわけです。


好かれるためになにをするかって話なんですが、なにもしないのが吉なのかもしれません。というのも、ただただサイリウムを振って背景に溶け込むことで誰でも"無害オタク"にはなれるはずですから。さらに、足繁く現場に通い、にこやかに見守り、金使って笑顔で今日の褒めポイントを語れば"優良オタク"、なおかつ若くイケメンなら"王子様"になれます。

これでミッションコンプリートと叫びたいんですが、誰もが王子様になれるなら苦労はしません。まあ簡単にいかないからオタクはオタクをやめられないんでしょうが、話を難しくしてる原因の一つが、オタクがオタクである、という事実です。なにも立場の話ではなく、単に"アイドル好き"という特性の話です。好きなことを突き詰めていけばいくほど、それぞれに"こだわり"のようなものが生まれてくるのは万物に対して共通かと思います。好きな女の子を等身大で見れているなら何の問題もなく、童貞ならではの女への理想を捨てれさえばすれば事は単純になります。しかし、なによりもまずこちらがアイドルとしてを前提に見てしまっていては、アイドルとしての批評が先にきてしまいがちなのです。

好かれたいけど、オタクとしての価値観も譲れない。この葛藤を葛藤と感じる事もなく、別々の話にしてしまうとよろしくない気がするんです。クソならクソというのが正直者でして、それも好きだからこその行動ですから、おべんちゃらを言ってご機嫌とりなど人間としての品格を疑わざるを得ないところではあります。

そもそもの話をすれば、文句を言ってそれが是正された経験などほとんどなく、だからと言ってそれが指摘をやめていい理由にはならないのもわかるんですけど、僕らが自身の経験からしか語れないように、アイドルも自身で経験してその都度方向修正しながらジグザグに進むしかなく、どうやらオタクの文句という結果はアイドルにとって方向修正するに値しないものらしいので、結局オタクは見守るか離れるかしかないのかもしれません。

ガチ恋の心理として、オタクとして以外の対応を求めてのオタクなわけですが、そこまで割り切ってオタクという立場を利用できるならば、いっそのことオタクの仕方も道具にすればいいのに、人は強欲です。

好きだし好かれたいという気持ちに対しても、正直者でありたいという気持ちに対しても、正直でいたいのです。なので、強かな選択として、取捨選択を必要としない"認めることによって是正がなされる"という道に進むことに、オタクのわずかな可能性をみるのです。


研ぎ澄まされてて、美しい。恋せよオタク。


最後の晩餐に向けてのおままごと

あと残り数回でカルチャーズ定期公演が終わる一度はsold outさせたい在宅も来い、とその告知だけでは望みを叶えられないことはガラガラのステラで学んだものだと思ってました。

 
学校でごちゃごちゃしてたら開演に間に合わなくなっちゃって行くのやめたんですけど、今回定期の内容をひた隠しにしてた理由がパソコンからでも伝わってきたように感じます。
 
お恥ずかしい話「THE ONE」をポジティヴに捉えて全員のソロとか期待しちゃってたんですが、きちんと現実に引き戻していただきまして、ついでにタンスの奥の奥にしまっていた大事な思い出まで引っ張り出していただきまして、もう言葉もありません。
 
一人一人の個性をピックアップした公演、とまあこれを聞くだけでネタ茶番の雨霰を想像できるわけでして、僕もだいぶさんみゅ〜さんに調教されてるのでしょうね。
 

平日公演のため、オタクに配慮した20時開演なんですけど、その限られた時間の使い方が猛烈に下手でした。平時開演前に行われる公演観覧にあたっての注意事項を開演後に野田真実さんがステージで披露。時間の無駄ですし、なにより野田真実さんの"THE ONE"がこれってあまりにも酷い話です。山内遥さん、新原聖生さん、西園みすずさんのソロを殺す長谷川怜華さんのラジオ風くそ茶番。お見事でした。さすがに運営が企画したと信じていますが、ほんとどーやったらこんなことになるんですかね。
 
素材を見る目だったり、余計な味付けをしないことだったりを当たり前だと思っている僕が驕っているのでしょうか。料理初心者にありがちな「隠し味への憧れ」や「複雑な味の深みへの憧れ」によって余計な調味料を使いまくったり無駄な手を加えたりして出来上がったものが美味しかったためしはありません。せっかくいい素材を使っても台無しですし、まず素材を見抜くことができていないからこの体たらく、と言った方が説得力があるかもしれません。正しい食材の取り扱いもせず、これで金を取っちゃうんですからね、さすがここの運営様はすごいです。
 
そもそも個性というのは、例えみんなそれぞれが同じ曲をソロで歌ったとしても、そこに見えてくる差異にあるのであって、ベトベトに味付けされた個性など無理なキャラ付けの延長にある食材に対する愚弄です。
 
茶番のあと申し訳程度に3曲続けてやられてもこちらは気の抜けたままですし、良かったところも引っくるめて総括として時間の無駄という感想しか出せないのは実に残念です。ゆるい感じ、と公演の冒頭で西園みすずさんかどなたかがおっしゃっていましたが、ただただ締まりのない公演だったとしか言えず、これを"ゆるい"と形容されてしまってはぐうの音も出ません。
 
運営様がなにに必死なのか未だに理解できていませんので下手なことは言えませんが、彼女らの"THE ONE"に対する運営様の認識が知れたので、少しは意義があったのかなと思うことにします。