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卒論

 

見切り発車ですんで、生暖かい目で見守っていただけたら幸いです。講釈垂れるつもりは毛頭ありませんが、野暮なことをいつも通り、なんの特別感もなくお話しできたらと思います。クソ長いです。

 

 

僕はオタクを存分に楽しんだ自負があります。勉強同様に就労が面倒で仕方がない自業自得系貧乏学生でしたので、もっとお金を稼いでオタクに注ぎ込んでいれば、もしかしたらより満喫できたかもしれません。事情として趣味やらサークルやら飲み会やら旅行やらの優先順位をさほど下げることなくお金をかけてきましたから、結果その選択をしませんでしたが、そのことに対する後悔など微塵もなく、それをなんの強がりもなく言える自分に、それなりに満足したオタクライフを送ってきた余裕を感じ、よって僕の自負の根拠となるわけです。

 

 

 僕がオタクを楽しめた理由の一つに、対人関係に神経を使ったことが挙げられると思います。なんの気兼ねもなく、が一見楽で短絡的には楽しそうに思えるのですが、印象として「たくさんバカなことしたわーたのしかったわー」と受け止められると幾分か齟齬があります。結論、なんの気兼ねもなく、に行き着くんですが、思慮の先の図々しさであり、無配慮ではありません。

 

何度かブログにも書いてる話なんですが、アイドルもオタクも人間です。よってそこにあるのはシンプルにはただの人間関係です。そこにはカネだったり、社会の目だったり、恋慕だったりが絡んでますから、単純な話ではないんですが、基本はアイドルとの関係も日常の延長線上であることに違和感はありません。あえて特別視する必要性を全く感じず、当たり前のように接していれば、当たり前のように楽しいのは自明でして、他人をとやかく言うのもこの期に及んでとは思いますが、何故かできてない方が多かった印象です。そう言った方々は軒並み「険しい」とか「病んだ」とかほざいてるわけです。

 

人間関係の苦しみを否定しません。ただ僕はなんとなく「そんなもんだろう」と幸いにも認識できていました。諦観とも言えるかもしれません。女性に対してもそうですが、人間関係そのものに無駄に幻想を抱いていません。しかし、無駄に絶望もしていません。苦しみと楽しさは必ず同居しますから、その割合は自分の選択や気の持ちよう、また環境によって大きく変化しますが、ある程度はコントロールできるもので、あとはそのバルブに気がつくかどうかなんだと思います。難しいんですけどね。

 

オタク幼稚園児 - bianco's memoryに書いた通り、オタクはカネの傘に庇護されてますから、守られてることと引き換えと言いますか、守られる=踏み込むことに対する制約ですんで、本来アイドルと自分との距離感に納得しやすく、いわば人間関係の公式が出来上がっている状態と言えます。あとは x と y に当該のアイドルと自分を当てはめるだけです。そこを理解せずに相手の敷地に踏み込んで行こうというのならば、当然の如く庇護は解け、雨曝しとなります。自ら傘から出たにも関わらず雨に打たれて文句を言うおバカさんはそれこそ幼稚園で卒業しなければなりません。守られつつ、踏み込んでも行きたいなんてことはワガママもいいところでして、見合わないことをしようとすれば、しっぺ返しを食らうのが世の常です。

 

しかし、僕はこの公式に則った人間関係を健全と思うだけの度量も視野も見解も持ち合わせてなく、当然のようにそこに日常を持ち込んだわけです。だからこそ、あくまで勝手な憶測にしか過ぎませんが、たとえ錯覚であったとしてもアイドルとの距離感をある程度縮めることができたんじゃないかなと思います。

 

先に「なんの気兼ねもなく」に辿り着いたと書きましたが、僕は普段なんの気兼ねもなく付き合える人間としか人間関係を築いていません。それはきっと社会人になれば変わるんでしょうし、相当気を使うような場面が今まで全くなかったとか、そういったものから積極的に逃げてきたとかそういう話ではなく、むしろそう言った場面は人並みに多かったように思うのですが、一時的ではなく普段から接するような人はある程度潜在的に剪定されてしかるべきでしょうし、僕は恵まれているのか結果的にそういった環境に身を置けています。

 

その関係性を保てているということは、当たり前のような思いやりだったりが自然発生的になされているんでしょう。もしくは周りの方々にものすごく気を使わせていて、その方々の優しさで生かされているかです。自分をいい人間だとは微塵も思っていませんので、もしかしたら後者の方が確率が高いかもしれません。まあそれでも現在に至ってこうして関係を続けてくれているということは、なんであれそれなりの理由が僕に対してあるとポジティブに考えて、前者だとして話を進めますが、そういった思いやりのような当然のことを前提に考えた時、例えば友人との関係の中で、露骨に権利だったりを主張し価値観を押し付けることってあまりないように思います。

 

親子間などかなり親密な関係性であれば説教することもあるでしょうが、アイドルとオタクの関係性にそれを見出すのはかなりズレた思考の持ち主だと考えられます。あくまで感想としての「これがこうなったら僕はもっと楽しめるのにな」だとか、ある種独善的な、利己的な思いや考えが、延いては◯◯ちゃんの為に繋がるのかもしれないという期待感を口にするのは大いに構わないと思うのです。しかし、そこに1ミリでも◯◯ちゃんの為!という押し付けがましい、もっと言えば厚かましいほどの熱があったら、それを受け取ったアイドルは「うざってえな」くらいにしか思わないでしょう。友人関係で考えてみれば、それも当然だろうと納得できます。

 

賢い子であれば、その言葉の背景であるオタクの思いを全てシャットアウトし、字面通りに一つの意見として受け止められるでしょうが、そうでないただ真面目な子であれば潰されてしまいます。運営の方針があって、自分が望む方向性があって、オタクの期待する進路があって、もちろんそれぞれあって当然なんですが、ただでさえ運営と自分とオタクの希望にできるだけ添いたいと考えている中で、それぞれのバランスを一生懸命調整している子に対して、オタクの希望を一方的に押し付けて責め立てた日には、どうなるか想像に難くないと思います。

 

ここからアイドルを長く続けるならある程度不真面目で適当な性格の方が向いているんじゃねーかという話に繋がるんですが、論旨がブレるのでシカトします。この話で問題なのは、オタクが何故か正義感を持って価値観を押し付けるという点です。この正義感というのが実に厄介で、正義なんてものは人の数だけあるわけですから、内に秘めといて、自らの行動にのみ発動させとけばいいんです。対外的には自分の倫理感だったりで評価してけばいい話で、正義感というのは倫理感とかとは違って白黒ハッキリさせたがる性格を持っています。黒は糾弾し、皆が白に染まることを望むわけです。言い換えれば、本質的に攻撃的であると言えると思います。しかも頑固になりやすい部分です。そんなもんを振りかざして、お前の為というありがた迷惑極まりない発言を、ましてや好かれようとしている相手にぶつけるなど、人間関係を全うしてるとは言えないでしょう。

 

難しいことはなく、なにも意見を噛み殺せといってるわけじゃないんですから、普段の通り、意見の発し方にせよ恋心の伝え方にせよ当然のように気を使って、気兼ねなく人間関係を楽しめばいいと思います。「気兼ねなく」を無礼講、ルール無用ということだと勘違いしてか、カネの傘に守られて気が大きくなっているのかわかりませんが、日頃の鬱憤を晴らすかのように振る舞う方もいらっしゃいます。他人を見て我が振りを直せるよう、常に冷静でありたいものです。

 

 逆にいい顔しようとする方も結構な数いらっしゃった記憶があるんですが、いい顔されりゃ人間誰だってわかります。アイドルになるような人種はそういったことに特段敏感です。友人関係で友人に対して媚びへつらいますでしょうか。健全な人間関係と申し上げた通り、普通に接することが、相手への気遣いであり、自分の楽しみへのなによりの近道だと思います。

 

それに関連して、こちらが普通に話にいってんのにアイドル的な対応をされると結構ショックを受けた記憶があります。もちろん仕方のないことですし、こんなことにいちいち目くじら立ててたらそれこそキチガイですが、アイドル的対応=拒絶に近いものを僕は感じてましたので、合わないなときっとお互い感じていたんでしょうし、誰とは言いませんがそういったアイドルさんへの苦手意識は拭いきれないものがありました。懐かしいです。

 

 もう一つの対人関係に、オタクとの関係が挙げられます。僕は友達がそう多くない人間です。非常に偉そうでどの立場で言ってんだって話ですが、仲良くさせていただきたいなという方はある程度選んでいます。大概の人はそうだと思います。しかし、できれば仲良い人が多い方がいいと思いますし、友達の多い人を見ると羨ましいなと素直に思います。ただ、僕のキャパシティの問題で、そもそも仲良くできる人数のスロットがそう多くない人間ですから、むやみに仲良くなろうと歩み寄らない、いわば根暗なタイプです。集団行動も得意な方ではありませんし、飲みに行くにせよ3,4人くらいが丁度よくて、知らない人が多くいる飲み会に対してかなり消極的です。一にも二にも「めんどくせえ」の精神でして、できるだけ気を使いたくないわけです。

 

もちろん知らない人との交流は刺激になりますし、人間として成長するにあたって必要不可欠だとは思います。散々偉そうに御託を並べましたが、僕みたいな捻くれたむず痒い青二才、そもそも積極的に交流を持とうとする人自体かなり少数派です。あたかもこちらが選んでいるんだみたいな論調で話しましたが、俯瞰してみてみりゃ僕が選ばれて除け者にされてる要素の方が随分と大きいでしょう。しかし、結果として、そんなに悪い方向に行かなかったかなと思っています。

 

みんなでワイワイ楽しくオタクする楽しさも経験してますし、どちらが良い悪いとかの話ではありません。あくまで僕の体感として、それなりに距離感をとられている、もっと端的にいえば嫌われている方がなにかと動きやすかったように思うのです。というのも、オタク社会は監視社会です。現場によってもちろん違いますが、大概が、特高警察のようなTOと呼ばれるオタク社会において影響力、すなわち権力のある人がいて、愛国心、すなわちアイドルへの忠誠心を当然とする国民のようなオタクたちがいて、それぞれがそれぞれを監視するような社会だと思います。

 

もしそのオタク社会に属して生きていこうとするなら、息苦しくてたまったもんじゃありません。その中に当然のように身を置いている人からすれば、なにが息苦しいのかわけがわからないかもしれませんが、僕は好き勝手やりたかったわけです。先述した通り、その好き勝手がアイドルへの嫌がらせに全く直結しないようなことであっても、監視社会においては出る杭は打つが大前提ですので、同調圧力に屈せざるを得ません。だから僕はそこに所属しませんでしたし、きっと正確には所属させてもらえませんでした。あるいは自意識過剰かもしれませんが、ツイッターでの僕に対する文句や懐かしの2chでの暴行予告やらを鑑みるにそんな的外れでもないんでしょう。それに、こんな僕みたいな人間でも仲の良い方を揶揄するようなことを言うのはある程度は憚れますし、そういった意味でも思ったことを素直に言えるような環境にあって、とても幸運だったなと思うところであります。

 

そんなこんなで気楽に楽しむことができましたし、幸運にもこんな僕と一緒にいてくれる数少ないオタク友達もいてくれましたから、もともと根暗な僕からしてみれば、願ったり叶ったりなわけです。何度も言いますが、良し悪しではありません。僕はこうであった、というだけの話です。しかし、もしオタクとの人間関係で悩まれている方がいらっしゃれば、参考にしていただけましたら幸いです。以上が対人関係に関する楽しさの要因でした。

 

 

オタクを楽しめた理由のもう一つが、言うほどガチ恋じゃなかったことだと思います。というのも、わりと曲だったりステージパフォーマンスだったりを楽しめてたので、ガチ恋的な楽しみに依存せずに済んだのです。何事も盲目的になれば、夢中にはなれますが、その代償も大きくなります。例えばライブが良かったにも関わらず、レスにしろ接触にしろ、アイドルからの対応一つで、丸々クソつまんねえものに感じずに済んでいたわけです。

 

どっちかが楽しけりゃ、まあいっかくらいに受け止められましたし、払ったカネに対する後悔もそんなにしてきませんでした。もちろん金返せやクソが、みたいなイベントもありましたが、世の中うまいことできてんのか僕が恵まれてたのか僕がやたらポジティブだったのかわかりませんが、その数はそう多くありませんでした。この比重がどちらかに偏ってくるとつまんねえと感じたイベントも増えたんでしょうが、丁度50:50くらいに楽しめてました。

 

このパフォーマンスの話を突き詰めていくと、結局はガチ恋にも関連してくるんですが、というのも、どーでも良いやつが頑張って成長していく姿をみたいと思う人間てそう多くないと思うんです。ガチ恋って書き方すると、あたかもアイドルと付き合いたいやつに限定された呼び方みたいに受け取られがちなんですが、もう少し広義的で、アイドルに、又アイドルとの関係に青春をみる人間は全員ガチ恋だと考えています。

 

もっと言えば惹かれていなければ数多くいるアイドルの中から興味をもって選ぶという作業をしないと思いますし、この「惹かれている」というのも淡白で清潔なものではなくて、例えば僕は本田望結ちゃんめちゃめちゃ可愛いと思いますが自ら関わりを持ちたいとはこれっぽっちも思いませんし、家の近所で滑るという情報を得ても死ぬほど暇じゃない限り観に行かないと思います。僕基準で申し訳ないんですが、時間とカネを使って会いにいく、という感覚は少なからず恋、もしくは青春をそこにみていることの証左だと思いますし、きっと否定される方自身もあえて気づきたくない部分で反射的に否定されるのかなと推測します。まあガチ恋って字面が狭義的意味を示唆してるんで表現としてあんま適切ではないのかもしれませんが、響き含め「ガチ恋」って文言がとても好きなのでご容赦ください。

 

オタクはほとんどがガチ恋です。全員が、といってもそんな間違いじゃないと思います。なかには純粋にドラマを楽しむ方もいらっしゃるかもしれませんが、今のところそういった方をお見受けしたことは一度もございません。程度に差があるにせよ皆ガチ恋であるがゆえ、対応とパフォーマンスと、楽しさの比重が存在しているとも言えます。僕の言うガチ恋じゃないなら対応なんてどーでもいい、むしろ接触なんてしないでしょうし、レスなんて概念持ち合わせてないはずです。討論ではありませんので一方的に話を進めてしまって申し訳ないんですが、程度に個人差があるにせよ自分がガチ恋であることを認識し、その比重を見つめてみることで、楽しみ方はもっと上手になるのではないかと思います。

 

ガチ恋といえばパフォーマンス軽視みたいな風潮が蔓延っているように思えた記憶があります。もちろんそういう人もいるしそういう楽しみ方も素晴らしいとは思うんですが、やっぱ好きな子が輝く姿をみるのは楽しいもんです。一番強烈な印象を残しているのは、ハコムスの鉄戸さんの舞台のお仕事を拝観したときでして、一番輝く場を目の当たりにしたときの衝撃と今後の期待感は僕をかなり楽しませてくれました。当時推していた子でしたから、同じく我妻さんの舞台を観た時もすげえなとは思いましたが、それとは違った次元で楽しかったことを今でも覚えています。アイドルで一番輝く子もいれば、バラエティで輝く子もいて、歌で輝く子も、ダンスで輝く子も、演技で輝く子もいるわけです。それぞれの輝く場を目の当たりにできる楽しさを味わえることはきっと幸運なことでしょうから、そういった楽しみを享受できる人間でありたいものです。

 

 

 あと、補足ですが、オタク以外の楽しみもあった方がよりオタクを楽しめるような気がします。オタクだけが俺の楽しみみたいになると、どーしても切迫感だったりにかられて、心の余裕なくオタクすることになりますから、心が満足に楽しむ状態でなくなります。何においても余裕が大事です。僕も右往左往狼狽えながらオタクしてましたけど、目指すはやはり泰然自若とした態度ではないでしょうか。僕の本名の由来でもあるんで、これを人生訓として、社会人を楽しもうと思います。

 

 

まあ卒論くらい文句垂れ流さずに明るい感じでいこうとだらだら書きましたが、くだらないことを真面目に、というオタクそのものと全く同様な記事になったことを皮肉と受け取り、締めとさせていただきます。

 

 

卒論と題しておいて卒業できなかったらもはや笑えもしないんで、3月4日までお百度詣りでもして神頼みしときます。

 

 

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